ソーシャルでないソーシャルメディア
2007年にスティーブ・ジョブズがiPhoneを発表した。発表の模様は全世界に向けて発信された。多くの人がそれをYouTubeで見たことだろう。あれ以来、スマートフォン(スマホ)というものが人々の生活を変えたといえよう。
それより少し前の事、ボストンからfacebookというサービスが産声を上げた。全米にすぐさま広がり、日本には2007年からサービスを提供している。このfacebookにサインアップをしてつながりをつくった人も多いことだろう。facebookでは5千人までつながりができるという。
このソーシャルメディア(SNS)は新しいサービスを生んだ。アプリケーション(APP)が生み出されていった。その数は毎日千以上ともいわれる。なかなかスーパーアプリというものはないが、facebookに続いて、インスタグラム、TikTok、そしてYouTube、LINEといったサービスも提供されている。
あるおしゃべり会でこんな話題があった。ソーシャルメディアははたしてつながりをつくって交流するには適切なものなのか。ソーシャルメディアはソーシャルなのか。こういった話題であった。
集まったのは5人。年配が3人、中年が1人、若いひとが1人という構成だった。年配のひとが発言をしはじめた。
facebookは役に立つを思っている。750人とつながり、世界の情勢をつかむのに役に立っている。こんな話をしはじめた。またもうひとりの年配の男性が続いた。いろいろなアプリを使っている。iPhoneもいろいろなアプリを使ってつかう。
だがはたしてソーシャルなのだろうか。中年の男性がいった。どちらかというとソーシャルではない。つながりをつくるというよりは分断させるような作用を持っている。このつながりというのも怪しいものだ。
そうしていると若いひとが発言をした。毎日起きたときから使っている。スマホとSNSなしでは生活していくことができない。
あまり詳しくは書けないが、それほど問題にしていない人が2名。問題どころか生活必需品として使っている人。そして怪しいと考えているのは1人だけだった。
わたしの意見ではこうだ。ソーシャルメディアはまったくソーシャルではない。この説に対する理由を書いてみます。つながり、分断作用、そして消費という側面です。
はじめにつながりとあります。スマホを通して知り合い、つながってもつながりとはいえません。デジタルでつながっているだけであり、あくまでバーチャル(仮想)なものです。つまり弱いつながりなのです。
弱いつながりというのはつながりのうちには入らない。フレンドという言葉があります。これは友達を意味します。友達とは気軽になんでも話ができる人のことを言う。学校で知り合った友達。クラスにいてよく話す友達。あるいは課外活動をいっしょにしている友達。
おたがいになにかをうまくなろうとして一緒にいる時間が長い。それがつながりというものです。いっしょにサッカーの練習をする。週末は同じクラブに入ってプレイの練習をする。ドリブルから始まりパスを受けてつなぐ。こういった行為を長い時間をかけていっしょにするのが友達です。
スマホを通じてソーシャルメディアでつながっているのはつながりではありません。ということはソーシャルではないといえましょう。
次にどちらかというとソーシャルメディアは分断作用がある。つなぐよりは分かれていく。離れていくということになります。アメリカでは大統領選挙もあります。民主党か共和党かという選択をします。ほとんどのひとがすでにどちらの政党に投票をするかというのは決めています。ただ大統領選ですからどちらになるかはわからない。
ここでソーシャルという心理学のような分野では分裂が起きるのです。どちらかに決めなければいけない。するとほとんどの人たちが感情で決めています。感情ではないにしても決めるのは無意識に決めている。意識の範囲では決めていない。こういったことが分断を生み、闘争につながります。
つまりソーシャルではないといえましょう。
これはスマホというのが電話、メール、ウェブブラウザをまとめたものであり通信の手段としてとてもコンパクトにまとめたデバイスなのです。しかしそのスマホの中にダウンロードされるアプリはラスベガスのスロットマシンのようなものです。
アプリを使い始めるとやめられなくなる。これは中毒症状を引き起こす仕掛けが最初から埋め込まれている。ということはそこで知り合ったひとというのはラスベガスのカジノにたまたま同じ時間にいた人と知り合った。なんらかのかかわりを持っているように錯覚をしているともいえましょう。
これはなんのつながりでもなければソーシャルではないといえましょう。カジノでいくら儲けようがソーシャルとは言えない。賭け事はしないまでもYouTubeやTikTokで止まることなく流れる動画を消費しているだけに過ぎない。つまり情報の消費です。これは弱い電気を浴びているのと何ら変わりがない。そういったところではソーシャルなことはできないといえましょう。
ソーシャルとは同じ時間と空間を一緒に過ごすことが長い。共通の関心や興味で物理的につながっていることが条件でしょう。
最初はソーシャルであってそれから発展をして深い関係を持つのかもしれません。しかしSNSはソーシャルではない。なのでfacebook、インスタグラム、X(旧ツイッター)などのアカウントは削除してもかまわないでしょう。またYouTubeやTikTokはアカウントを持たなくても見れます。ソーシャルでないものにソーシャルと思い込まされて利用することもありません。
SNSアプリはエンターテインメントであり、つながりではないでしょう。大学生の皆さんはどのように考えていますでしょうか。