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オレオのこれから100年

東京に来て約40年。しばらくして女房と結婚して子供が生まれた。当時、霞が関で働くサラリーマンとしてひとつの会社に長く勤める。そんな心持で家族を持った。ところがそんなのんきなことはなにひとつなく6社の民間企業に勤務。そのうち外資には17年で4社。6社のうち半分の企業は今や消えてしまった。スイスの会社もアメリカの会社もどこかに消えた。

どうにか家族だけは千葉県東葛地区に住居を構えてこれまでのんびりと暮らしてきている。そういう暮らしの中でなにかひとつわからないことがあった。女房のチョコレート好きということである。なぜにこれほどまでにチョコレートがすきなのか。おそらく甘いもの全般であるともいえる。これが35年以上いっしょに暮してきて不思議なことである。

台所の棚にはお菓子箱のようなものが設置されている。扉をあけると常時甘いもの、特にチョコレートなるものがぎっしりと詰められている。こんなにあってどうする。そして棚には入りきらないものがあふれて食卓の左側に飾られている。それがなくなるまでおかれている。そしてわたしが隠れて食べるとそれがすぐにわかるらしい。そんなことをして何度も怒られたことがある。あの数のチョコレートをどうやって把握することができるんだろう。これほどわからないものはなかった。

あるオンラインイベントでチョコレートのオレオについて話をする機会があった。オレオは1912年の誕生。110歳を迎え新たな100年に向けて発進しようとしている。そんなことを話す前にチョコレートのことを何も知らないわたしにとっては肩身の狭いイベントになろうとしていた。

5人集まってきてオレオについて好き勝手なことをしゃべる。女性3名、男性2名。そのうちにオレオという会社がなぜ110年も続いたのか。これからの100年をどう戦い、消費者を楽しませてくれるのか、そんな話になった。

イベントの前半は完全に女性陣によって占領されてしまった。しゃべるわ、しゃべるわ。普段は無口なくせに。このときばかりにしゃべり足りないというくらいの勢いだった。チョコレートのことをなにも知らないわたしともう一人の年配の男性にとっては形勢が悪かった。

110年続いた理由というのはブランド力であること。スキャンダルがなかったことということをあげた人がいた。なるほどオレオはアメリカ人であればだれでも知っている。あのチョコレートの板を使って上と下からクリームを挟む。あのデザイン(形)を見ただけでオレオというのが何かがすぐにわかる。ブランドというのはすぐにわかることをいう。

あの色と形がどこかオセロゲームにつかわれる駒のようなものを連想させる。とてもなじみやすい形と色をしていることからも支持者が多い。そしてなんといっても甘くておいしいらしい。

ただそれほどのオレオといえども110年間存続しているというのは不思議なものである。アメリカの会社はほとんどは長く続かない。特にオレオのあるニュージャージー州はニューヨークに近くてリベラルなところである。新しいものを求めて若い人たちが次から次へと新しいことを試す。ならばこれからの100年をどうするのか。後半はそんな話になった。

オレオは新しいイメージを打ち出している。ひとつはプロモーションにレディーガガを使った。そして色をピンクに変えて商品を売り出している。はたしてこのプロモーションはだれに向かって発信したものだろうか。それは6歳から17歳くらいの女の子に向けてであろう。大人が食べるかどうかはわからないが中心となるターゲットはそこにあろう。

まずはレディーガガを使ったプロモーションがある。ぱっと眺めてみてどうだろう。これでうまくいくのだろうか。そんなところを参加者に聞いてみた。

Lady Gaga Oreo Scavenger Hunt

この組み合わせが面白いという意見があった。それは110年も続いている会社と店というのはもはや老舗である。東京日本橋でいえば江戸時代から代々受け継がれているお菓子のお店になろう。その中でも甘いものといったら何があるか。私はよく知らないがおそらく全国でいや外国も含めて人気のある商品が思い浮かぶであろう。

さてそのような老舗がレディーガガを使うということはどういうことか。ここではふたつの狙いがあるといえよう。古いということを払拭させようとしている。そしてレディーガガのように自由になって振る舞う。そのような女の子をメインのターゲットにしているとしか考えられない。

しかも商品の色はピンクである。この東京でピンク色をしたチョコレートをだれが食べようとするのか。特に東京の西側に住む若い女の子たち。表参道や原宿によくいく子たちを想定している。そこにピンク色をしてチョコレートをおいて売れるのかというのがある。おそらくであるがとても魅力的な商品として解釈され売り上げを伸ばすものと予想している。

それほどまでにレディーガガのイメージは強い。自由に歌い振る舞う。服装もピンクを使うことに抵抗はまずない。そしてこの写真のようなちょっとした変身をどこかで望んでいることであろう。

しかしながらピンク色のチョコレートを食べる人がいるのだろうか。食べるものまでピンクにしてどうする。そんなどうでもいい疑問が残る。なぜピンク色にしたのだろう。

ここまできて参加者から指摘があった。レディーガガはBisexualであって男女分け隔てなくなくお付き合いをするという。そこにはLGBTを理解しようというメッセージが込められいるに違いない。そういう意見だった。わたしはこのような指摘が来るとは思いもよらなかった。だってチョコレートを選ぶのになぜLGBTであること、LGBTを理解しようというメッセージを出す必要があるのだろうか。これはあり意味ちょっとした賭けである。

渋谷や新宿であればそれは通用するかもしれないが保守的な人たちが住む東京ではそれは受け入れられない。それどころか逆に離れてしまうのではないか。東京の西側には特にリベラルな人たちが多い。いや東京1300万人はどちらかというと保守的ではなくリベラルなひとたちが多いため、このようなチョコレートはかえって好まれるかもしれない。

しかしよりによってレディーガガとピンク色でなくてもよかったのではいか。そこまで突き抜けた方がよかったのだろうか。これはよくわからない。

よくよく考えてみるとわたしの女房は東京都の出身である。わたしの出身である愛知県ではない。愛知県ではピンク色のチョコレートを買って食べるということはありえない。ところが東京ではありうることは理解できる。そして女房は西側に出身でなく東側のどちらかというと古い風情が漂うようなところである。古くからある川が流れておりそこはいらずらに都市開発が進んでいるわけでもなく昔からある古い駄菓子屋さんや日本橋まではすぐに行くことができる場所の出身である。

それでもチョコレートに対する思いは理解できないほど大きい。なぜにあれほどの量と種類のものを買ってきて家の中に置くのだろうか。食べることができるのだろうか。そう思ってわからないように隠れて食べる。そうするとわずかの時間であるいは置いてあるところを見ることもなく、怒りの一発を食らわすのである。これは相当の思い入れがあるに違いない。

東京の東側の出身でこれだけチョコレートにこだわりがある。ならば西側出身の女性だったらどうなるんであろう。それを考えると恐ろしいて寝られなくなる。結婚をする男性陣は相当に覚悟しておいた方がいいだろう。

はたしてオレオの次の100年はどうなるのか。東京の女性はレディーガガのように自由に飛び立つことができるのだろうか。オレオの次の100年を楽しみにしている。