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審判が判定の説明をしてほしい

大学を卒業するまでは愛知県で過ごした。愛知県というのは、東京と比較すれば楽しむものはほとんどなかった。あるといえば、車に乗ることと野球を観戦すること。野球といってもセリーグに所属する1チームだけで地元の声援をバックに熱狂的なファンが押し寄せる。東京では、セリーグ3チーム、パリーグ2チームがあり、ファームの試合が埼玉、東京、千葉でほとんど毎日行われている。

ここ十年くらいは、ファームの試合をときどき見に行っていた。春先になるとよくいったけど、駐車場千円、入場料が千円とファームなのにどこか1軍の試合と変わらない料金にどこか違和感があって、今年から大学野球を見るようになった。見るといってもスタジアムの近くにいって、入場するかどうかまよったあげく、見ないで帰るということもよくあった。

首都大学野球であれば、首都圏で行われており、3試合組まれていても千円で見れる。そんなこともあり、観戦したものの、3試合見ることもなく、数時間見たところで帰る。そして、首都大学野球の2部リーグであれば、無料で観戦できることもあり、2部リーグの試合を見ることが多くなった。

そこで少々気になる事故を見た。

2部リーグ、明治学院大学と東京経済大学の試合が越谷市民球場で行われた。先攻は明治学院、3ー1とリードの5回。確か1アウト1塁。この試合に勝てばリーグ優勝。リードを広げて何としても勝ちたい。

バッターがぼてぼてのセカンドゴロを打った。セカンドが猛烈にダッシュして1塁でアウトをとろうとした瞬間、猛烈にスピードをあげて2塁を狙うランナーと交錯。セカンドの野手は衝撃で倒れて立ち上がることができなかった。ランナーは衝撃はあったであろうが、そのまま試合に残った。

さて、審判はどうするんだろう。まず、判定を下さなければならない。あれは、走塁妨害なのか、それとも守備妨害なのか。その説明は、観客に向けてマイクをつかったアナウンスはなかった。わたしを含めて、観客はあの光景に一瞬息をのんだ。倒れた野手は大丈夫なのか。

野手は仰向けのまま起き上がることができない。内野席の遠くに座っていたわたしは、意識があるのか、どうか、気になっていた。呼吸はどうなのか。乱れてはいないか。脳震盪(のうしんとう)でなければいいけど。球審はホームプレート近くで担架を持ってくるようにというジェスチャーをした。むやみに動かさない方がいいのでは。動かしていいのかどうか。

しばらくして救急車が到着。そのまま病院にいったようだ。

あのような場面というのは、そんなにはない。というのは、ベース間の真ん中くらいでランナーのスピードが猛烈に増す。それは、ショートやサードではありえない。また、セカンドであってもぼてぼてでなければ、前にダッシュすることはないであろう。そして、優勝がかかっており、なんとしても点差を広げておきたい。であれば、ランナーはひとつでも先の塁を狙う。そのような条件が重なってしまった。

めったにはないといっても審判は、試合をしている両チーム、観客に説明をした方がよいであろう。そして、あの場面では、だれが担架で運ぶかどうかという判断を下すのであろうか。審判かそれとも監督なのか。監督は試合に勝つために作戦は立てるであろう。では、試合中のけがや体調管理はだれがするのだろう。

審判は、あくまで試合のルールに沿って、ジャッジをするだけだ。ところがあの場面では、担架の要請をしたように見えた。そして、ジャッジの説明を観客にはわかるように説明はしなかった。無料の試合ではあるが説明はほしかった。

野球の審判は、ジャッジ以外のことでもしなければならないことがある。あの場面では、まず監督が倒れた野手にかけより、監督の判断で担架の要請をする。そして審判がゲームを中断。担架が運ばれる。確かにそのようにしたのではないかというようにも見れた。内野席からでは、その手順はわからない。

再開されるまで5分は、かかった。5分といえども長い時間。判定の説明は、観客にわかるようにしてほしかった。

いまではたまにしか見ない野球。今シーズン、2試合目の試合でこのような事故を見るとは考えられなかった。また、愛知県で観戦してきたような見方をしなくなってしまった。あのころは、ただ、プレイと勝敗だけが気になった。わたしの観戦方法はすっかり変わった。