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30mと30秒の相傘中に考えた3つの謎

いまから43年前の春。名古屋にあるカトリック系の大学に入学した。それはわたしにとって大変うれしいことだった。これから4年間いろいろなことができる。わたしの姉も10年前に同じ大学に通った。そこで知り合った男性(義兄)と結婚。二人のこどもを産んでいまでも元気にしている。わたしは入学したときに義兄からはこういわれていた。

これから4年間はバラ色のような生活だよ。はてそれは何を意味しているのか。初めに聞いたときはよくわからなかった。

入学してしばらくするとクラスメートにもどんなひとたちがいるのかなんとなくわかった。180人の学部をアルファベット順に並べて4つくらいに分けていた。男子学生は固定された一つのクラスにいる男子学生とよく食事をして、しゃべったりした。ところが女子学生は4つのクラスにいる女子学生にまんべんなく話をしているようだった。

ある日、4時くらいに授業が終わってこれから家に帰るというときに急な雨が降ってきた。キャンパスからバス停までは距離がある。当時、自転車やバイクで通学していなかった。そのため雨がふったら傘をさしてバス停までいくしかなかった。

さあ、帰ろうか。そして振り向くとそこにクラスにいる女性がいた。名前は知っているけどそんなに話したことがない。でも傘を持っていないようだった。わたしはどうしていいかわからなかった。そんな矢先につい口からことばが出てしまった。

僕の傘に入って近くのバス停までいきますか。

そしてキャンパスを離れた。それからいっしょにバス停についてもバスに乗らなかった。次のバス停まで歩いていっても乗らない。とうとう1時間くらいふたりで歩いて地下鉄の入口まで歩いて行った。

これはわたしが大学1年生のときに美しい女性と相傘をした最初で最後の思い出だった。

あれから43年が経過した。ところは東京都葛飾区金町。わたしはここにある東京理科大学の食堂にいって食事をすることがある。お盆休みが明けて食堂が再開することになった。わたしは再開にあわせてわざわざ車でいった。駐車場に車をとめて食堂にいく。そこでは定食を選んでキャッシュレス決済する。なんとも理科大のようで電子化が進んでいる。

定食を食べ終えて30メートルほど離れた生協でホットコーヒーを買う。レジで支払いを済ませるとマシーンでしばらく待つ。そうするとコーヒーができあがる。

ところが生協の店舗から外を見ると雨が強く降り始めた。わたしは冷房の効いた店内で飲んでも差し支えないだろうとふと思った。ただやはり外で飲む方がよかろうと思い、自動ドアから外に出た。そこには雨宿りをするスペースがあって、そこでしゃがんでコーヒーを飲んでいた。ああ、この雨はしばらくやみそうもないな。しかたがない。

するとわたしの右後ろから傘をさした若い男性が近づいてきた。そしてしゃがんでいるわたしから見ると右側に立っていて傘をこちらに向けてなにやらしゃべりかけてきた。

よかったら傘にはいっていきますか。

えっ、わたしは信じられなかった。夏休み中。東京都葛飾区金町。大学のキャンパス。そこにわたしのような恰好をした大学関係者がいるわけはいない。上は紺のTシャツ。下はベージュの短パン。そしてサンダル。どう見てもわたしは大学関係者ではない。しかもわたしは大学生には見えない。大学生にも大学講師にも見えない。

彼は相傘をしてくれた。30メートル。30秒。この相傘の間に何を話せばいいのだろう。わたしの頭はフル回転になった。

わたしはいった。何を勉強しているの。彼は建築と答えた。それははとてもいい分野だね。建築は芸術につながっている。建築から彫刻、そして絵画、音楽を派生したようだよ。これはあのバイオリン奏者の葉加瀬太郎さんがテレビでいっていたことだった。

そしてわたしはあと数秒の残っている時間でこういった。わたしはアメリカでコンピュータを勉強した。なのでたまに理科大にきて食事をしている。すると彼はこういった。優秀な方なんですね。そうではないんだ。

食堂につくとわたしはお礼をいって彼とは別れた。ありがとう。しかしここで3つの疑問がおきた。

ひとつめは一体なぜわたしに相傘をしてくれたんだろう。わたしは大学関係者ではないことは明らかだった。しゃがんでコーヒーをすすり、雨宿りをしながら上を向いていただけだった。いまどきこんなやさしい大学生がいるわけはないだろう。

つぎにわたしは彼の好意を断ってもよかった。どこか親切にしてくれるのではないかという顔つきをしていた。彼の目は親切心に満ちていた。普通ならわたしは断るところだった。大丈夫です。雨が止むまでここで待ちますから。こういってもよかった。ただあの声の響きから断わる気がしなかった。好意に甘んじて傘にいれてほしい。そして食堂までの30メートルまで傘にはいっていこう。こう思ったのである。

最後にわたしはありがとうといって食堂にはいり、しばらくして車の方にいき、キャンパスを後にした。家のつくまでの20分の運転中、この相傘のことが気になってしかたがなかった。

こんなやさしい親切心を持った大学生が都内にいるのだろうか。わたしの息子より10歳以上は若い。何も知らないわたしに相傘をオファーすることはありえない。普通はしないだろう。しかもオファーされても断るひとが多いであろう。ちょっとしたことに関わりたくないと考えるひとたちが多い都内だ。警戒はしなかったのだろうか。ありえないことに出くわした気がした。

わたしは家にもどってこの話を女房にするとそれは偶然であるよとのことだった。でもそんなに珍しいことじゃないよともいっていた。わたしにとってはあの43年前のクラスメートとの相傘以来はしたことがない。

もう過去のことだから話せるのだけどもわたしはあの相傘をした女性のことがずっと好きだった。卒業したあとでもそういう気持ちを持っていた。あのいっしょに歩いた1時間はこれまで忘れたことがない。バラ色というにはどこか違う気がするのだけれどもなんというか素直な恋愛をしたという感覚は残っている。

理科大で傘をオファーしてくれた学生とはもう会うことはないだろう。もし会ってしまったらわたしのことだから屁理屈をいうかもしれない。

どうしてわたしに相傘をしようと思ったのか。わたしはどう見えたのか。わたしが君に聞いたことはよかったことなのか。わたしはなんと話しかけたらよかったのだろう。

ありえない親切心に接する機会があった。どうなんだろう。都内の20歳くらいの大学生の中にはひょっとしたらやさしい学生がいるのではないか。もう闘争心に燃えるような気質でなく気づかいがありひとの心を潤してくれることができる人。ちょっと困った人を助けることができる大学生。10年間、学生がやらかすトラブルのようなものばかりを聞いてきた。そんなわたしにとってはちょっとありえない出来事だった。