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失望から一転して希望になった学習系イベント

昨年5月末、あまりにもしゃべる機会がないのでSNSでイベントを探した。どれも似たようなイベントが検索できる。主催者はだれなのか。どんな目的でやっているのか。そしてどんなことに参加者は関心があるのか。そんなことが気になりながらも探し続けた。そこでたどりついたのが朝30分だけなんでもいいから話をするというイベントだった。

わたしはこれまで1年と4か月、100回参加した。はじめのうちは様子を見ていた。どんなひとが来るのか。だれが主催しているのか。そして何を目的としているのか。すると次第にわかってきたのはほとんどのひとが暇つぶしに来ているだけだった。なんのことはない。朝30分だけ好きなテーマで話をするというだけだ。

そこには1000人のメンバーがいて朝来るのは20人。あまりにも少ない。その理由はいろいろ考えられる。ひとつにはイベント情報にトピックを持ってくるようにと表示されているもののだれもトピックを持ってこない。持っているとしても隠しているだけで最初に発言したひとのトピックを話すというパターンになった。それはどれだけいても何に関心があるのかわからないということだった。そのため協力する人が減っていった。

協力する人が減る理由にはこんなことも考えられた。それはトピックを出したひとが損をするというものだ。トピックを出して数分後にこんなトピックは変えたほうがいい。そのように妨害をするひとが出始めたことだ。そういった失礼なことをいうひとが出始めるともうトピックを出す気にはならなくなる。

次にトピックを出してしばらくすると面白くない。時間の無駄だというひとまで出始めた。そうなるともう参加したくもなくなる。次第に離れていく人が増える。一度離れると二度と戻ってこない。

そして関心ごとがわからないとだれてくるひとが増える。3人くらいはいつも遅れて入室する。するとそのひとたちが入室したときに出題者は2度、3度と繰り返し説明しなければならない。そういったひとに入室許可を出してはいけないのだ。そういうひとまで入室させるとトピックを出すのがばかばかしくなってくる。つまり出題者が損をするだけだから。

そういう不満めいたものが続いていた。わたしは主催者の前で全員トピックを持ってくるように依頼した。そして遅刻を許可しないようにも依頼した。それでも遅刻をしてくる。だらけたおしゃべり会になっていた。わたしはもうやめるつもりでいた。

ところがある時ひとりの若い男性が積極的にテーマを出すようになった。それだけでわたしは前向きになった。なんでもいいからテーマを出す。これは出さないことから180度違う。そこで全員が協力をするというのがおしゃべり会でも了解事項であるはすだ。これがうまくいかないときは消沈してしまう。

その男性は各国の輸出の統計を出した。どの製品が国別で輸出が高いのか。数量ベースか金額ベースかというのはわからない。しかし各国でどのような産業で輸出が多いのかはわかる。それだけでもテーマとしては妥当である。そこからいろいろなストーリーが描けるから。

日本の統計値を見てみる。どこか似たような国はないか。ドイツと同じ産業で輸出が高い。そうすると産業構造が日本とドイツは似ているのではないか。そういったことが想定できる。

日本では車両のエンジンの輸出が多いとあった。ドイツも同じであった。ということは日本ではトヨタ、日産、ホンダといった基幹産業を支えるエンジンの開発が輸出としては多いということだろう。ドイツも同様にVW、BMW、ベンツといった自動車産業を支える経済構造であろうということが想像できる。

では電子機器はどうなったか。コンピューターや家庭用電化製品はどうか。これは中国の輸出が多い。ということは日本の家電メーカーや組み立て型メーカーは中国と競争をして苦戦をしているということが想像できる。いまや東芝やパナソニックといったところに就職するのがほんとうにいいのかどうか。

あるいは日立、NEC,富士通といったコンピューターの会社は中国の輸出に押されて苦戦をしているのではないか。そういったところに就職するのが必ずしもよくないということがいえるだろう。

そしてほかの国はどうだろうか。ヨーロッパ諸国ではドイツであろうとも苦戦をしている。では景気のいい国はないのか。そこで最近話題になっているのがポーランドである。ポーランドといえばもう忘れられた国と思っているかもしれない。しかしながらポーランドの躍進は顕著である。

そのポーランドの経済を支えるのはなにか。それを見てみるのもいいだろう。そしてラトビアやエストニアといった国はどうか。そこはロシアに近い国ではあるがアントレプレナーシップとしては参考になる国である。そういった国の輸出産業はなにか。

これらのことから話は広がってもくる。

わたしは7月ころにはこんなばかばかしいイベントは辞めようとどこかで思っていた。結構いい人たちが来てもやめて行ってしまう。それは妨害者が出たりイベントを荒らしたりするひとが来てしまうからだった。

そこでどうやら見切りをつける時がやってきた。また同じようなことが起きるに違いない。そう思って参加したのだけれども事情が全く違い好転した。まさに失望から希望へと転換をしたイベントであった。まあ大袈裟な言い方をすれば絶望していた。奇跡のようなことは起きない。でもたまに起きることがある。簡単なテーマを持ってきて出すことだけが奇跡とはだれも考えないだろう。それだけお気楽なおしゃべり会なのだから。

しかしこのおしゃべり会は注意しなければならない。危険が多い。時間を無駄にする。まずシニアが多いということだ。その中には年金受給者がいる。彼らにはこのイベントに来るメリットはない。時間つぶしをしているだけだろうから。また、ひたすらしゃべりたいからという理由だけで憂さ晴らしをするひともいる。そうなるとだまって聞いているだけになる。それも面白くはなかろう。こんな娯楽を果たしていつまで続けるのか。

ではなぜ参加し続けるのか。ごくたまに気づきがあるからだ。不特定多数の関心ごとがわからないひとが集まってくる。冷やかしや妨害者も存在する。それでもわずかなことに気づきがある。書籍やネットでは得られない。

不確定要素が多いときに各部屋にはいったときに果たしてどうやって会話をはじめるのか。まずは話すトピックを決めよう。だれかがそう声掛けをするしかない。それが理解できるのに1年と4か月かかった。