抗日戦争期間の銀行(1937-1945)
戴建兵 等《話説 中國近代銀行》百花文藝出版社2007年,297-303(写真は2019年8月 ハルピンにて)
1937年から1945年は中国銀行発展の第五期であり、このとき中国銀行業は中国の抗戦を支援(支持)しかつ経済を発展させる二重の任務に直面していた。かつ政府はそれを口実に銀行業全体の統制を強化した。
全面抗戦が勃発したあと、中央銀行本店は重慶に移転した。この段階の初期においては中央銀行の力量は中国銀行に及ぶものではなかった。そこで「四聯縂処」の名義で、中央、中国、交通そして農民4行の連合を起こし、蒋介石を四連総処理事会主席とした。その目的は四聯縂処を利用して、中央銀行を培養援助(扶植)するにあった。
まず中央銀行を唯一の発券銀行として確定した。1942年7月1日発券を集中。あらゆる法幣そして法幣準備金の外国為替(外匯)そして黄金はすべて中央銀行に集中された。このあと国民党政府は中央銀行が発行する紙幣(鈔券)に財政赤字の補うこと(彌補)を依存するようになった。1937年7月の抗戦前夜、法幣の発行額は14億1000万元だった。1942年6月末の集中発行前夜、発行額はすでに249億元に達していた。1944年末抗戦が終わりに近づいたとき、法幣発行額はすでに1890億元に達していた。もしも法幣政策の変更と中央銀行の集中発行がなければ、抗日戦争を長期支持することは、相当困難だった。
抗戦前の中国では法幣改革は進んでいたが、中央銀行は有名無実(名不副實)であった。中央銀行は実際上は、中国、交通、中国農民と同じく商業銀行と異ならなかった。貨幣発行権はあいかわらず分散、各行の貯蓄預金の準備は各行の責任、割引と資本市場が極度に分散して現れる不健全な局面、これは戦時経済の発展には等しく不利であった。この情況の下では高度に統一集中された金融機構はとても重要だった。1939年9月8日、国民政府は《戦時健全金融機構辦法綱要》を公布し、抗戦初期に中央、中国、交通、中国農民四行の連合事務所(辦事處)を設置し、一つの政策決定機構を設け、その権力を拡大し、戦時金融業務そして経済機関各項業務の指導処理に責任を負うものとした。同組織は中央、中国、交通、中国農民四行と財政部、糧食部から派遣された高級官員から構成され、蒋介石が四連総処主席を兼任、すべてを統べるものとされた。四連総処は四行業務を検査、監督執行し、戦時金融の政策決定の権利(大権)を定めた。このすべての権威機構はのちに一連の戦時金融措置を制定し、それにより中国の戦時金融体制は次第に作りあげられた。
1942年5月28日、四連総処は《中中交農四行業務劃分及考核辦法》を公布し、四行業務を合理的に分業した。中央銀行は紙券の発行に集中、外国為替支払いを統一処理し(統籌)、国庫を代理し,軍政の支出(款項)を支払い(匯解)、金融市場の調節を主とする。中国銀行は中央銀行の委託のもと国外支出の受け取り支払いを行い、国際貿易に関連する貸付と投資を発展させ、中央銀行の委託を受けて輸出入外国為替業務と外僑との為替業務を行い、国内商業の為替両替貯蓄・信託業務を行う。交通銀行は、工鉱交通及び生産事業の貸付および投資を行い、工商業の送金為替(匯款),公司債と公司株券の引き受けを行い、倉庫及び運輸、貯蓄、信託業務を行う。中国農民銀行は農業貸付と投資を行い、土地金融業務、合作事業貸付、農業、倉庫、信託および農業保険、貯蓄などの業務を行う。
四行の分業と専業化の基礎上で1942年6月中旬、財政部は《統一発行辦法》を制定した。併せて行政院の会議で可決のあと、7月1日からの執行が各行に命令された。
《統一発行辦法》の条文は以下のようである。本年7月1日より、すべての法幣の発行は中央銀行が集中して処理(辦理)する。中国、交通、農民三行の本年6月30日以前に発行した貨幣は、それぞれ該当行の責任とするが、併せて発行額の詳細表を四連総処、財政部及び中央銀行に審査のため送付されたい。中国、交通、農民三行は預金の支払いに応じるために、実際情況に応じて担保を提供して中央銀行に援助(接濟)を申請できる、併せて財政部に報告審査を受けること。中国、交通、農民三行の三十一年(1942年)6月31日以前の発行紙券の準備は規定に期限に従い、中央銀行に上納接収される。
地方銀行を強化し日偽(汪兆銘が立てた政権を日偽政権といったがその日偽政権 訳者注 汪兆銘は1940年3月に南京に政権を建設。翌41年1月には中央儲備銀行を設立、発行した銀行券は中儲券。このほか傀儡政権により上海に1939年設立された華興銀行発行の華興券。北平に傀儡政権により1938年設立された聯准銀行が発行する聯銀券。傀儡政権により張家口に1937年設立の蒙疆銀行が発行する蒙疆券などが知られる。馬長林《中国古代金融》中国国際廣播出版社2011年pp.136-139)との貨幣戦を進めるため、国民政府は当時地方銀行に補助貨幣を発行させて法幣を支持することを許していた。この時期に紙幣を発行した地方銀行は浙江地方銀行、江西裕民銀行、広東省銀行、広西省銀行、湖北省銀行、福建省銀行、甘粛省平官銭局、西康省銀行、安徽地方銀行、安徽地方銀行、四川省銀行、湖南省銀行、陝西省銀行、河南農工銀行、綏遠省平市官銭局、河北省銀行など15行である。発行権を統一するため7月14日には《中央銀行接収省鈔券辦法》が公布された。(中略)
中央銀行へ発券を統一し、銀行の銀行とし、堅実な基礎を固めたことは、国の各地区の統一を力強く促進し、国民政府が金融独占を進める障害をなくし、国民政府が法幣を経済の「てこ」として便利に用いることを可能にした。これは中国の貨幣史上一大事件であった。
新中国建国以前中国金融史
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