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六義園

 六義園(りくぎえん)は五代将軍徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主柳澤吉保が元禄15年1702年に築園した庭園であり、明治に入り岩崎弥太郎の別邸となってのち、昭和13年1928年に岩崎家から東京市(現在の東京都)に寄贈されて現在に至っている。
 個人的には六義園を訪問した回数はかなりの数になる。いつも良いと感じる点はまず、庭園の周辺がマンションなどで損なわれることが、なんとか最小限に抑えられていること。これは現代では稀有のこと。そして中央部の大泉水の開けた空間も良いが、個人的には峠の後ろの山の中の道のようなところがあることを上げたい。つまり標高35Mの藤代峠からの一望が好きな人もいるだろうが、私はその裏手の蛛道(さるがにのみち)のように入り組んだ道。あるいはまるで山の中のような道が、あちらこちらに作られているところが六義園の好きな点である。
 おそらく1回来ただけでは、六義園の良さは分からない。できれば天気のよいときに、何回か一人で歩いて、人があまり歩かない裏道があることを発見されたりすることを勧めたい。
 ここはそうした一人ずつの発見を楽しめる大きな庭園である。なお庭園内には、有料の茶屋が二つあり、甘味や軽食を提供している。庭園をみながら、こうした茶屋で休めるのもこの庭園の魅力の一つである。
アクセス 地下鉄「駒込」(2番出口)あるいは山手線「駒込」(南口)から徒歩7分。年末年始(12/29~01/01)を除き無休。
六義園是由深受江戸幕府第五代将軍徳川綱吉信任的川越藩主柳澤吉保于元禄15年1702年修建而成。此園是江戸時代大名庭園的代表之作,進入明治時代之後、成為三菱公司創業者岩崎弥太郎的别墅。其後,于昭和13年1938年由岩崎家捐贈給東京市(都)。六義園的名称由来于中国古代《詩経》中的”六義”分類。在《古今集》中記載了這六種詩。(東京都公園協会中文パンフより)

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