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顧准 帝国主義の変化 帝国主義と資本主義(上) 1973年5月8日

顧准《從理想主義到經驗主義》光明日報出版社2013年pp.98-103
顧准《顧准文集》民主與建設出版社2015年pp.252-257
 顧准がまだ文化大革命の余韻が残る1973年に北京で書き残したメッセージである。書斎人に過ぎない顧准が、「社会主義国」中国で、以下のような「世界認識」をもっていたことは、注目されてよいのではないか。

p.98.(p.252)  一、米帝国主義は20年の競争(較量)の間に後退(退却)した
 この命題は見るところ、確定して疑いがない。朝鮮戦争とベトナム戦争、双方は競争した、実質的には中国と米国両方が競争した。競争を経て、米国は世界の覇権を失った、「豊かな社会」(ガルブレイスの書物の題名)を名乗る最初の資本主義国家、実際は国内消費と大量軍事費用の二重の負担を続けられなくなり、退却した。(ガルブレイスのあの『豊かな社会』の趣旨は、資本主義の発展が現在に至り、軍事費用の景気は軍事費用によるのであり、実際上、個人によるものに及ばないことの証明を企図したことにある。このことは等しく言われている、資本主義は二重の負担を経験してきたと。)

二、戦後は帝国主義の全面後退の時期である
 しかし後退したのは米帝国主義だけではない。すべての帝国主義がみな後退したのである。チャーチルは彼は大英帝国主義の清算人を勤めていないと、嘘を吹聴したが、事実上、まさに清算人だったのである。ナチスが終わり、大英帝国もまた終わった。フランスもまた終わった、フランス帝国を終わらせたドゴールは(重要なことはアルジェリアからの撤退にあり、フランス共産党はなお撤退を主張していない!)ナポレオン以後のフランスの第一の偉人となった。
 帝国主義の滅亡(完蛋)は人知れず完了している。たとえば1776年の米国独立戦争のような、いかなる大規模な植民地革命戦争もないまま。唯一劇的な場面は1956年の英仏連合軍がスエズを攻めたときである。そのとき、ナセルの一手は、戦績は「イスラエル進攻の六日」に比べ、はるかによかった。しかしナセルは英仏連合軍を実際に打ち負かしたわけではない。そのとき、米ソ両国はともにエジプトを支持し、英仏の進軍に反対した。我々に帝国主義は張り子のトラだと理解させたのは、
p.99  朝鮮戦争ではなく、Port Saidであった(訳注 1956年7月のナセルによるエジプト運河国有化宣言に対して、英仏はイスラエルを先兵としてシナイ半島への進攻を計画。英仏の大量の軍事支援を受けたイスラエルが10月29日まずシナイ戦争を開始。続いて英仏が参戦し、Port Saidも空爆された。しかしそこに米ソが連合して英仏イスラエルに即時撤退を勧告。英仏としては誤算になった。)。

(p.253)   三、新植民主義と旧(老)植民主義
 米国は英仏連合軍のPort Saidの戦いに反対したがゆえに、またその他の理由から(主要には米国はもともと古典的意義での植民国家ではない)、米国は旧植民主義とは呼ばれず、新植民主義と呼ばれている。
 新植民主義の定義は容易に一言で明確に説明できない。米国という国家の「植民利益」からいえば、それはラテンアメリカ諸国に巨大な投資を有し、巨大な農産品と、石油供給の源を含む鉱産を有している、それは当然また米国の市場であり、またパナマ運河特区を有している。ラテンアメリカは米国の裏庭であるが、このほか、米国は世界中に軍事基地を有しており、事実上、日本と台湾等を占領している。
 簡略な分析から、この新植民主義の新植民主義たる所以(頭頭的)は以下の二項に分けることができる。
 A. レーニンの「帝国主義論」で言うところの帝国主義的であること、あるいは経済帝国主義の利益を図っているといいうるもの。
 B. 併せて経済帝国主義性質の一種の権勢、われわれの「覇権」という言葉がそれをよぶのに適切だが、これには決して属さないもの(并非屬於)。
    しかし、もう一歩分析を進めると我々は、この二種類の「帝国主義」は、その性質は50年前に比べて大きく変化したことを発見できる。(訳注 新植民主義は、植民地を放棄したあとも、すなわち植民地が独立したあとも、投資などを通じて実質的にあるいは経済的に「支配」すること、つまり旧帝国主義の変質した姿ー経済帝国主義を一面で指すようである。他方で「覇権」には属さないとしているのは一体何を指すのか。この疑問については「八、新植民主義の特色」が一応の答えになっている。顧准はそこで軍事援助に代わり経済援助が拡大していることを、かなり肯定的に書いている。覇権ではなく、先進国は自らの義務として途上国を支援するようになったと。つまり「覇権」を求めない流れが生じていると、まじめに言っていると考えていいのだろう。ただ経済援助と、途上国の産業構造、途上国ー先進国の貿易が結びついている側面に顧准が触れていないことは疑問がある。)

四、経済帝国主義の変化
   先に経済帝国主義を見よう。
 50年前、大英帝国は「日落ちざる」国家と称された。当時、その植民地は二種類のタイプに分けることができた。一つは白人移民の自治領で、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカを含む。(もう)一つは有色人種の地区である。前者の経済は現代化されており、英帝国と彼らの関係は基本上は平等互助的であり、いかなる超経済搾取もない。有色人種の植民地は確かに(英国に)超過(超額)利潤を提供した。インドが提供したのは、超過利潤にとどまらず、インドの行政、税務などすべて英国人がそれにより(借以)財産をなすところであった。
p.100   以前行われたこととして、19世紀中葉及びその前、英国でインドで財産をなす人の数は多く、英印富翁ー
(p.254)    Nacolという専門用語が作り出されたほどだ。19世紀後期から、英国は大量の資本を輸出し、英国国内の工業装備はドイツ、米国諸国に劣るに至った。二次大戦以前、英国全体では入超であったがその運輸(航運)、保険、金融と海外収入はその入超を超えて十分有り余るほどである。
 奇怪であるのは、19世紀下半期から、英国は日増しに自由主義から帝国主義に向かい、その国内労働者運動は日増しに平穏に大きくなり、1924年にはついに第一次労働党内閣成立に至ったことである。帝国主義と労働運動が併進したことは、確かに歴史上の奇跡である。
 レーニンの『帝国主義論』はまさにこの背景のもとに書かれたものである。
 現在経済帝国主義は又大きく変化している。

五、ローマ帝国の比喩
 レーニンの『帝国主義論』の末尾ー結論部分は、ローマ史を知らなければ、理解がむつかしい。そこで、この方面の叙述を挿入することが、おそらく必要である。
 ローマは直接民主の都市(城邦)国家である。その統帥は執政官が兼職し、執政官は民選されるものだった。紀元前500年前後、多くの戦いを経て自身を脅かすものはなくなり、ローマは四五百年の征服を開始した。まずイタリア全域を征服、それからカルタゴ(迦太基)と苦しい戦いがあり、カルタゴ滅亡後は、スペイン、フランス、ブリテン、ドナウ河以南の中欧とバルカン、小アジア、北アフリカ、エジプト、シリア、イラクが前後してすべて征服された。征服中、大量の奴隷主が生み出された。しかしもともとのローマ公民は、選挙権のある公民であった。これらの公民すべてが地主と奴隷主になることは不可能であり、共和国の中期と末期において、ローマにはまた盛んな(轟轟烈烈的)民主運動が存在し、これら貧苦の公民のために「理屈として当然の(理所當然的)権利」を求めたのである。最初は、求める目標は土地の合理(的)分配にあった、しかし割り当てられる奴隷がますます多くなり、征服された土地(すべてそれぞれ行省を構成した)の廉価な糧食がローマのイタリアにあふれ出ていたときに、糧食農業は存在できないものになり、自作農(自耕農)もまた存在できなくなった。貧苦公民に分配された土地は大地主に転売され、地主はまた荘園でオリーブ油(橄欖油)、果物そして牧畜業を営んだ(奴隷がこのことを行えた、西ローマが滅亡し、イタリアがまた再び糧食の自給を必要としたとき、
p.101  のちの世代の奴隷は次第に自身の経済を有するように変わり、糧食を生産する自作農あるいは土地を持たず地主の土地で働く農民に変わったのである)。しかし「民主運動」は停止することがなく、目標は次第に国家が公民に廉価で糧食を提供すること、最後には無料で糧食を提供すること、さらには、祭日に観劇の類を現金補助がくわわったのである。
(p.255)   公民たちの権利はここで終わらなかった。共和国末期、カエサルとカエサル以前の短い期間内に、執政官候補を選ぶのは統帥であり、統帥はローマ法によれば戦争で得た捕虜を私有財産とする権利があった。候補を選ぶ人は富豪であり、民主原則はなお存在していたが、競争して大規模に選民を買うことで、相手を持ち上げる方式ではないが、たしかにあらゆる選挙権のある公民はすべて良いところがあったーこれは一種の大衆的収賄であった。
 この一歩に至って、民主は残念ながらついに終わった。共和国は終わった。続く皇帝は選民投票は不要であり、公民は従順な臣民になった。
 しかし、無産階級、この言葉は確かにローマから伝わったものだ。Proletariatはラテン語で、財産のない公民の意味である。

六、「帝国主義は死につつある資本主義」とは何を指すのか?
 ここで知るべきであるのは、「帝国主義は死につつある資本主義」というこの命題が指すのは:
 甲、帝国主義本国は、もはや基本的工農業生産国家ではない。ただ奢侈品を生産している。まさにローマとイタリアがもはや糧食を生産せず、ただオリーブ油、果物、畜産品を生産しているのと同様である。それは植民地搾取に頼って生活している、まさにローマが当時行省を搾取して生活したのと同様である(ローマの行省太守が行省を搾取することは十分恐れられていた)。
 乙、帝国主義国内の無産階級は、まさに堕落したローマのProletariatのように、タダで供給を受け、寄生、腐敗している。
 丙、文化上、技術上、科学上の没落葉、当然さらに必然的である。
 丁、当時、ローマには大量の金融資本家が生まれた。彼らは行省に行き太守や財務官といった人に貸付を行い、利息は極度に高く、しかし返済は保証されていた。帝国主義の国内財政資本の統治はまたローマの事例とよく似ている。

p.102   七、近代帝国主義はローマ帝国の道とは異なる道を歩んだ
 近代の経済帝国主義が歩んだ道は、歴史が証明するところではローマとは異なっていた。
 1. 確かに19世紀後半期以降、英国は植民主義に恋をしていた。ドイツ、米国などの工業が猪突猛進の時期、英国の国内生産は立ち遅れた。このことは別の一面で、
(p.256)ドイツ、米国などの工業は現代的で、彼らは不均衡に発展しつつある新興帝国主義国家であり、彼らが英国を超えたことは、早くも20年代に既成事実であった。このことは、工業、科学、技術が帝国主義国家に不可欠であることを証明した。植民主義に恋をしていたイギリスは、(第二次大)戦後(50年代以後、事実上帝国主義が清算されて以後)この点を理解した。(英国は)発展速度は、ドイツ、日本、フランス、イタリアに及ばないが、工業装備を再び新しくし、技術の発展に努め、ついに追いつくことが出来た。加えて、労働者運動の伝統は、英国に福利(福祉)国家、「社会主義」国家の称号を与えている(我々は「共産主義」を行っているものという。英国が「社会主義」だと呼ばれるのは、その国営経済が鉄道、保険、炭鉱、鋼鉄などの部門に及んでいるからである)。
 2. 彼らの科学技術はなお衰えていない。このことは多くのひとにすでに周知のところである。フェアバンク(費正清)はこのことで米国と中国を対比したあと、再三米国は「創造性、自主性」の学術方面での優位(領先)を継続すべきであると述べている。田中(角栄)の『日本列島改造論』は日本は第三産業の発展に努力すべきだと提言している。事実上、「帝国主義」国家も皆この方面で努力している。1929年の大恐慌後、米国のエンジニアはマグニートゴルスカ(ソ連が建設した鉄鋼都市)の建設支援に入り、米国の設備が古くなっていると嘆いた。しかし早くも(19)50年代、米国と西欧はみな新技術の応用を奨励し、加速償却でも免税を可能としたが、これは一種の奨励方法である。現在、装備が古いままであるのは彼らではなく、反対にソ連のほうである。
 3. 植民地を捨て去り、国防費用負担を減少あるいはなくすことが、経済を急激に発展させる先決条件になった。原因は、現在、植民地を保持することは、革命の気分が広がっているもとで、鎮圧費用は、非経済的搾取(?)を超過しているからである。原因は巨額の国防費は工業投資を制約するからである。
 このようであるので、経済帝国主義は、必ず「新植民主義」置き換えられる。
 それゆえローマ帝国といったものの前途は、事実により徹底的に否定されている。

p.103 八、新植民主義の特色
 以前に米国の新植民主義を分析したことがある。米国の、そしてその他の国家の(新植民主義の)特色は何か?二三簡単に指摘できる。
 1. 新植民主義の経済側面。現在は、「和平的」国際法の財産権利そして自由貿易がその特徴である。以前の砲艦政策は基本失敗に終わった。例えば、中東の複雑な曲面では陰謀はある。砲艦外交もまた、最近のドミニカのように、たまたまはありうる。しかしケネディはついにキューバに大規模に侵攻しなかった、Port Saidから以後、砲艦政策はすでに国際情勢が許さないとこ(p.257)  ろとなった。そこに50年前には存在しなかった石油輸出国連盟といった組織が出現した。リビアは100万余りの人口で、毎年20億米ドルの石油収入がある、50年前なら神話である。
   2. 覇権、その極めつけは金銭の消費である。米国は南ベトナムに1000億米ドル以上を費やした。その他の事例中、覇権争奪には経済援助を用いる必要があり、軍事援助に換える必要がある。(19)30年代宋子文は5000万米ドルの綿麦借款を借り、国際上、とくに中国国内の大事件であった。現在インドは未返済の外債が、米国とソ連に、数十億米ドルを下回らない。50年前ならこれはあり得ないことだ。
 3. 国連(連合国)の出現。国連の経済社会理事会は、途上国に「関心を寄せ(關懷)」ており加えて(1)先進国が途上国に援助を行うことが、(先進国)自ら負うべき義務になっている。(2)「帝国主義」国家の経済学者は、いつも指摘している。途上国の権力者は特権階級であり、彼らは経済発展のために必要な政治社会改革の実行に応じない、その結果、外国の援助は特権階級の海外預金に変わってしまっていると。これは簡単明瞭な批判(反叛)の合唱である。



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