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張卓元《新中国60多年経済学研究的六大進展》2012

張卓元等著《新中国経済学史綱(1949-2011)》中国社会科学出版社,  2012年。同書の第1章、張卓元《新中国60多年経済学研究的六大進展》pp.1-50の抄訳である。

p.1 1949年の新中国成立から2011年まですでに63年が経った。中国共産党の指導のもと、三座大山(新民主主義革命期には帝国主義、封建主義、官僚資本主義という三つの敵がいたとされる)の暗黒統治をひっくり返して、人民が主人公となる中華人民共和国を建設し、併せて社会主義の広く平坦な道(康庄大道    明るく美しい前途を示唆)を一歩一歩歩んだ。中国は60年余りの発展を経て、国家の社会経済のありよう(面貌)には天地がひっくりかえるほどの変化があり、全世界により経済発展が最も早い国家だと公認され、「中国の奇跡」を生み出した(創造了)。2010年にすでに世界第二位の経済体に躍り出て、同年の為替相場で計算すると、2011年の一人あたりGDPはすでに5000米ドル余りに達している。中国は今まさに工業化と都市化のスピードを加速し、小康社会を全面建設し、つぎの40年で、建国100周年に達するときには、現代化を基本実現し、中等発達国家の列に達すると予測される。
 この巨大な変化の過程において、中国経済学は、空前の発展と繁栄を経験した(得到了)。一面では、新中国経済建設の大規模な展開と経験の大量の蓄積は、経済学者の研究工作に肥沃な土壌と豊富な栄養を提供した。別の一面では、党の知識を尊重し、人の才能を尊重する政策と「百花斉放、百家争鳴」の方針は、中国の経済学者が才能を伸ばすのにもっともふさわしい舞台を提供した。中国経済学は現実の要求の要請と良好な環境に励まされて、国家の社会主義現代化建設の広大(宏伟)な実践に貢献(服務)するなかで、様々な花が競って開花するような繁栄した様相を呈している。
 以下は筆者の研究と観察にさらに、50年余り自身参加した経済学のホットイシュー(热点)問題討論の体験を加えて、建国以来の中国経済学から、主要には理論経済学60年あまりから六大進展を概括したものである。

 一 マルクス主義経済学基本原理の指導のもと、中国自己の社会主義建設道路の探索に努力し、併せて改革開放過程の中で社会主義初級段階(階段)理論を確立し、
p.2 唯一正確な中国特色社会主義道路を開き作った(开辟和形成)。
   
中国革命の成功と新中国の成立は、マルクス主義の基本原理と中国革命の具体実践とが相結合した毛沢東思想の指導のもとで得られたものである。新中国成立以後、社会主義発展道路をかように歩む、社会主義建設道路をかように進める、同様に必ずマルクス主義の基本原理を中国建設の実際と相結合することを探索するならば、成功するであろう。この一点は、党と国家の指導者から広範な経済理論工作者そして実際工作者までみんなに明確であり、かつ一貫して堅持されている。
 中国社会主義の建設の過程で、ある探索は成功し、別の探索は失敗した。60年余りの社会主義建設の実践で、検査のすえに成功、あるいは失敗が標準であろうか。真剣に成功の経験と失敗の教訓を総括することで、我々はついに一条の客観規律そして中国の実際が建設中の中国社会主義の道を探し当て、経済理論を含む中国特色社会主義理論を形成した。
    まず失敗した探索を述べる。1958年に始められた「一大二公(人民公社は大きく公有化の程度が高いので良いものだとされたことを指す)」の人民公社化運動と商品生産と等価交換否定の一平二調(一平は報酬の平均主義を指し人民食堂はその表れ、二調は労働力と財物を無償で徴発したことを指す)、1958-1960年の「大躍進」、「文化大革命」中、利潤を先導とすること(利潤挂师)、労働による分配を否定し、資本主義の尾を切ったこと、それから新中国成立から30年、何回か経済建設に代えて階級闘争を中心にして経済を困窮させたことなど。
    より多いのは成功した探索である。1956年の毛沢東(マオ・ツエートン 1893-1976   発音表記と生没年は訳者によるもの以下同じ)の「十大関係を論ずる」は彼の中国社会主義建設道路探索の重要成果である。1959年に毛沢東は「一平二調」の誤りを提起したあと、価値規律は「偉大な学校」であると提起した。20世紀の50年代に陳雲(チェン・ユン 1905-1995)孫冶方(スン・イェファン  1908-1983)顧准(グウ・ジュン  1915-1974)于光遠(ユー・グアンユアン  1915-2013)、卓烔(チュオ・ドン)は社会主義制度下の商品生産、価値規律、市場調節作用について卓見を示し、20世紀60年代の経済学界は、速度と比例、経済予算(核算)と経済効果、資金利潤率と生産価格について熱心な討論と探索をおこなった。改革開放以後、鄧小平は経済建設を中心とすることを提起し、改革開放の指導方針を実行し、中国社会主義はなお初級段階にあると提起し、社会主義も(資本主義と 訳者補語)同様に市場経済を行えるとした(中略)

p.3  なぜある探索は成功し、ある探索は失敗したのか?60年余りの社会主義建設の実践を経て、私個人の認識によれば、(失敗の 訳者補語)根本の原因は、中国の国情から出発せず、中国の実際の必要と接合(切合)していなかったからである。そして建国以後の中国の最も基本的国情は、中国社会主義は初級段階にあり、発展段階になかったということである。過去の多くの失敗した探索はみな、中国が社会主義初級段階にあるところから出発せず、客観的現実(実際)を超えた結果、望んだ成果を得られず、ひどい打撃(头破血流)にぶつかり、元来た道に戻らざるを得なかったものである。これに対し成功した探索はすべて中国がなお社会主義初級段階にある実際から出発し、中国の国情から出発し、マルクス主義経済学基本原理を運用して、着実に実際問題を解決している。
   現在からみて最も簡単な例を挙げてみる。新中国が成立後、「文化大革命」が終了するまで、わが国の所有制関係にはずっと段階を超えた行き過ぎ(冒進)問題が存在した。都市と農村において、いずれも再びもう一度「一大二公」をしようと、非公有制経済は一貫して社会主義とは異なる力とみなされ排斥され、少し頭を出すと「資本主義の尾」として切り落とされた。実際は中国の生産力発展水準はなお社会主義公有制を実現する段階に到達していなかった。中国経済はなお遅れていたので、都市と農村で多くの労働はなお手を使って行われており、生産力発展の多層次性は、所有制構造の多様性を決定する。それゆえに公有制経済を発展させると同時に、個人、私営など多様な所有制経済を合わせて並存かつ発展させ、各方面の力を動員(調動)することで、貧しく遅れた状態から迅速に前進する。マルクスには有名な言葉がある。「どの社会形態にせよ、それがもつ生産力を発揮する前には決して滅びることはない。また新しくより高い生産関係は、古い社会の細胞の中でその物質条件が成熟する以前には、決して出現することはない。だから人類が常に自分で解決できる任務を提起できるだけである。というのは仔細に観察すれば発見できるように、任務それ自身は、それを解決する物質条件が既に存在するか、あるいは少なくとも形成される過程にあるときに、初めて生ずるからである。」1979年の改革開放後、まず、個人、私営、外資などのp.4 非公有制経済の発展が許され奨励された。1997年の党の十五大はさらに公有制を主体とすることを一歩進めて確立した。多様な所有制経済がともに発展する社会主義初級段階の基本経済制度では、個人、私営など非公有制経済は社会主義市場経済の有機組成部分であり、このように次第に前一段階の所有制構造上、段階をどうするというやり方を超越したやり方で生産力の束縛を次第に取り除き、社会生産力を大きく解放し、生産の発展と人民生活水準の引き上げを力強く促進した。2008年までに、個人、私営経済は1億3700万の就業を受け入れた。国家統計局が発表した報告は示すところでは、都市非公有制単位の就業人員比重(比例)は、1978年の0.2%から2007年の75.7%に増加した。20世紀90年代以来、中国の個人。私営企業は平均毎年して仕事のポストを420万ずつ増やし、それは都市の毎年新増就業ポストの58.7%を占めた(原注 参見《北京日報》2008年11月4日)。

(中略)

p.5  二 計画と市場(の)関係問題は中国経済学界が研究討論した、最初の大きなホットイシューであり、その突出(した)成果は社会主義市場経済論の確立である。
 社会主義制度下の計画と市場の関係問題は、中国経済学界が建国以来最も熱烈に討論し、最大争いのあるところ、発表された文章も最も多く、成果もまた突出した問題で、わが国の老経済学者薛暮橋(シュエ・ムーチアオ  1904-2008)が1956年10月28日に人民日報で「計画経済と価値規律」の一文を発表後、経済学界で延々50年余り研究討論していた一大論点である。
 これが一大論点となったのには以下のいくつかの理由がある。
 (1) 新中国成立後、第一回(1959年)と第二回(1979年)の全国経済理論p.6   討論会で、その主題は社会主義制度下の商品生産と価値規律作用であり、実質的には計画と市場の関係問題だった。
 (2)新中国成立後、中国の経済学者は様々な学派を形成した。まず商品生産と価値規律で異なる観点の区別が生じた。孫冶方(スン・イエファン  1908-1983)は価値規律を広げようとする派(寛派)であり、于光遠(ユー・グアンユアン 1915-2013)と卓烔(チュオ・ドン)は商品生産を広げようとする派であり、駱耕漠(ルオ・コンモウ)は商品と価値(の両方)について狭めようとする派であった。
 (3) 改革開放後、中国経済学者の争論が最も多く最も先鋭であるのは、市場志向や市場化改革を堅持するか、市場志向や市場化改革に反対するかであり、この論争は現在までずっと続いている。
 (4) 中国経済学界の建国以来の研究討論のもっとも突出した成果は、社会主義市場経済論の形成であり、この理論はわが国の改革開放の主要な理論支柱であり、また中国経済学者のマルクス主義経済学の宝庫に対する主要貢献である。
 新中国成立以後、中国の経済学者による計画と市場の関係に対し、社会主義制度のもとでの商品生産と価値規律問題を含む討論は、開放前と開放後の2つの大きな段階にわけることができる。
 改革開放前は探索の時期だと概括できる。主要には1956-64年である。この時期、中国経済学界は比較的活発で、多くの影響力のある経済学者が主流の伝統経済理論にしばしば挑戦し、卓見卓識をもって主張を提出した。当時、一般には階級闘争こそ要だとする社会環境の中で、政治が学術に干渉破壊するところはなはだ大きく、一部の経済学者は批判を受け(挨批),弁解雪辱がむつかしい罪を被せられることが(蒙受不白之冤)、理論の探索に大きく影響し、正確で透徹した見解(真知灼見)が抑圧された。それにもかかわらず、以下の一部の経済学者の功績を抹殺することはできないものである。
    1956年 孫冶方(スン・イェファン)は計画と統計を価値規律基礎上に置く(放在)ことを明確に主張した。
 1957年に顧准(グウ・ジュン)は、社会主義経済は価値規律により企業の生産経営活動を自発調節させることができると、すなわち価格の自発騰落が生産を調節できると考えた。
 1959年に于光遠(ユー・グアンユアン)は、なんでも交換される製品は(交換される製品に社会必要労働が含まれ、等量の労働同士が原則交換されるのであれば)すべて商品であり、社会主義経済に存在する様々な交換関係は、すべて商品交換関係であると考えた。
 1962年に卓烔(チュオ・ドン)は、商品経済は社会分業が決定しているもので、社会分業が存在する限り商品経済は存在するとした。商品経済と社会主義は矛盾せず、
p.7  社会主義建設の有力な道具(工具)になりうるとした。
 1963年に孫冶方は、千の規律、万の規律(のなかで)価値規律が第一条であると提起した。利潤の多寡は企業の技術水準と経営管理の良し悪しのもっとも総合的な指標である。社会平均資金利潤率は各企業が必ず達成すべき水準で、平均資金利潤率を超えるものは先進企業、水準を達成できないものは落後企業である。
 指摘に値するのは、この時期、党と国家の指導者がまた一連の積極的意義のある観点や政策主張を提起したことである。たとえば陳雲(チェン・ユン)は1956年に社会主義経済を市場調節作用で補うことを提起した。毛沢東は1959年に価値規律は「一つの偉大な学校であり、ただそれを利用することで、われわれの幾千万の幹部と数億の人民に対して教えることができ、われわれの社会主義と共産主義を建設することが可能になる。それ以外はすべて不可能なのだ。」と提起した。(中略)

p.12  新中国成立以来のわが国経済学界の計画と市場関係そして経済体制改革に対する研究と探索から、以下のことが認識できるであろう。
 まず第一に計画と市場関係問題は社会主義経済理論の核心問題である。伝統的社会主義経済理論の根本欠陥は、経済調節の手段として計画を使うか市場を使うかを、社会主義経済制度と資本主義経済制度を区分する基本標識にして、計画を使うものを社会主義、市場を使うものを資本主義としていることにある。この認識は世界各国の経済発展実践と完全に一致していない。第二次世界大戦以後、多くの先進資本主義国家は、各種の経済発展計画を策定、マクロ経済の運行を調節している。伝統社会主義計画経済体制国家の実行は、 市場の作用を低く見て(貶低)排斥した結果、経済の生命力(生機)や活力を窒息させてしまい、平和経済競争に敗北した。事実は多くの経済学者に認識されるようになったが、社会主義国家はただ市場の助けを借りてこそ、指令性計画でがんじがらめになった経済を蘇(よみがえ)らせることができた。資源配置のなかで市場の基礎作用を発揮させることでこそ、経済の効率を高めることができる。当然、市場は決して万能ではない、政府のマクロ調節など「見える手」が必要であり、市場の欠陥が矯正されることで、経済の健全な運航は保証される。

p.13  三 所有制理論と分配理論の重大突破:公有制を主体とすること、多様な所有制経済がともに発展し平等に競争すること、株式制は公有制の主要実現形式であること、労働に応じた分配と生産に応じた要素分配とを相結合すること、(以上)を確認したこと。
 新中国成立から60年あまり、中国経済学界は、計画と市場の関係の探索において、この世界的な難題を探索するとともに、所有制理論と分配理論について、深く検討、重大な突破的進展を獲得した。

p.15 改革解放後、中国経済学界では所有制理論方面で一連の重大な突破があった。
 まず所有制の構造方面では、中国の生産力発展水準は高くないことと社会主義初級段階の条件のもとにあるとの認識のうえで、個人経営などの非公有制経済の存在と発展が許されることが必要だ(必須)とされた。1997年、党の十五大は一歩進め公有制を主体としつつ、多様な所有制経済が共に発展すること(以公有制為主體,多種所有制經濟共同發展)を、現段階の基本経済制度であるとした。
 わが国の著名な経済学者薛暮橋(シュエ・ムーチアオ 1904-2005)は、はやくも1979年に当時都市部の待業人員が2000万あまりに達したことが、社会安定に影響する実際情況に、多様な経済成分を発展させ、就業の門路を広げる重要な建議を勇敢に提起した。「目前、個人経済と資本主義の尾を残すことは、利は多くとも害は少ないだろう。」「我々が現在資本主義なお絶滅できないとしても、一体何をおそれることがあろうか」彼はわが国改革解放後、最も早く多種類の経済成分の発展を唱道した経済学者だった。
 中国の経済体制改革の一つの顕著な特徴と長所は、公有制において改革が進むと同時に、体制の外の個人私営経済が飛躍的に発展し、国民経済の新たな成長点となり、雇用を吸収する重要な水路(渠道)となり、経済の迅速な活発化(迅速活躍)をもたらしたことである。2011年までに中国私営企業は900万社あまりに達した。個人工商戸数はすでに3600万戸をすでに超えていた。非公有制経済の固定資産投資はすでに全国の50%を超え、国内生産価値の比重はすでに半分を超えている。輸出貿易額は全国の60%を占める。又提供された80%以上の都市就業の職位を提供している、まつその90%以上は新増設の職位だ。
 改革解放後の30年余りの実践が証明したのは、個人、私営など非公有制経済の発展を許し、個人、私営など非公有制経済は社会主義市場経済の有機組成部分であると確認して、社会主義基本経済制度を確立したことは、社会の生産力を多いに開放し、
p.16 中国経済の持続、快速発展を力強く促進したということである。2007年に党の十七大報告はさらに進めて、公有制主体を堅持し完備する(完善)、多様な所有制経済が共同発展することを基本経済制度とする、平等に物権を保護することを堅持する、各種の所有制経済の平等な競争を形成する、新たな構造や規格を相互に促進する(公有制を主体としつつ非公有制経済の発展を妨げない意味に読める 訳注)とした。これが所有制の構造をさらに改善することが示す方向である。
 公有制の実現形式に多様化されてよいと提起された後、株式制は国有性を含む公有制と市場経済とを結合する有効な実現形式であると、考えられている。
 (中略)
p.16 20世紀80年代中期から、中国社会経済生活の中に株式制(股份制)経済が発展を始めた。これは一種の混合所有制経済である。そのなかで大量の公有制成分が株を支配する株式制経済は、公有制の一種の形式とみるべきだとされた。経済学者はこの点で大きな争いはなかった。20世紀の80年代とくに90年代各地で各種各様の株式合作経済が出現した。一般の認識では(一般認爲)、株式合作経済の公有制の程度は様々、その中で労働者の労働と資本の連合を主とする株式合作性は、公有制の一種の新形式とされた。
   1987年、国家体改委の委託により中国社会科学院、中共中央党校、北京大学などが研究提出した中期(1988-1995年)改革計画報告の中で、ほとんどすべてが当時の請負責任制(承包制)を株式制に移す建議を提出し、請負責任制は
p.17   国有企業の財産権(産権)制度の先天的弱点を変更するものではないので、企業改革は財産権を株式制の方向に組み替え変更発展させるべきだと主張した。
 党の十五大報告(1997年   訳注補語)は公有制の実現形式方面で重大突破だった。報告は公有制の実現形式は多様化されるべきだと提起している。すべては社会化生産規律の経営方式を反映し、組織形式は大胆に利用できる。株式制は現代企業の一種の資本組織形式であり、所有権と経営権の分離に有利であり、企業と資本の運営効率を高めるのに有利である、資本主義が用いることができるが、社会主義もまた用いることができる。具体的に分析せずに株式制が公有あるいは私有ということはできず、重要なことは支配的株式権が誰の手中にあるかである。国家あるいは集団が株を支配するなら、明らかに公有性を備えており、公有資本の支配範囲の拡大に役立ち、公有制の主体作用を増強する。十五大のこの論述には、重要な指導意義がある。十五大のあと、ある文章は改革開放以来、国有制、集団所有制のほか、提出実践された公有制実現形式を以下のように列挙した:株式合作制、社団所有制、リース(租賃)、委託経営、地方社団所有制、公有制控股的股份有限公司,縣鎮村組所有制など。
 2003年の党の十六届三中全会《決定》は、さらに一歩進めて株式制は公有制を主要実現する形式だと論断して、以下のように指摘している。「経済の市場化が不断に発展する趨勢に適応するには、さらに公有制経済の活力を増強することが必要である。さらに国有資本を大大発展させ、集合(集体)資本と非公有資本などが出資で参加している混合所有制経済を発展させる。投資主体の多元化を実現主要実現し、株式制を公有制の所有実現形式とする。」一部の経済学者によれば、公有制の実現形式は多様化した。株式制は公有制の主要実現形式である。(これは)われわれがすでに公有制と市場経済が結合する正確な道を見つけたことを説明するものだ。社会主義市場経済論の立論はさらに十分に、さらに堅実になった(更爲堅實了)。
 最後に国有大中企業は株式会社制(公司制股份制)の改革道路を歩むべきである。
    新中国成立後の前半三十年、社会主義改造基本完成後、農村を除いて全国はおよそ国有企業の天下であった(一統天下),城鎮集団企業は実際上は地方国有企業だった。これらの国有企業は決して本当の意味で独立経済採算(利益)の市場主体そして法人実体ではなく、彼らの上級管理(主管)部門の付属物であり算盤珠だった。国家の指令性計画に従い生産と経営を進め、利潤はほとんどすべてを上納し、職工の工賃は主管部門の統一規定により、企業が大鍋飯を食らうなら、職工は鉄飯碗を両手で抱えていた。多く働いも少なく働いても同じで、良い仕事も割る仕事も同じで、企業と職工の積極性p.18  創造性はひどく束縛され、企業に活力はなく、経済効率は高くなかった。
    1978年に改革開放が実行されて以後、国有企業改革は企業の自主権拡大から開始された。党の十一届三中全会広報は指摘している。「現在我が国経済管理体制の重大(厳重)な欠点は権力の過度集中である。指導して大胆に下放すべきであり、地方と工農業企業に国家統一計画の指導のもと、より多くの経営管理自主権を持たせるべきである。」この前後、経済学界では理論上、社会主義制度下の国有企業は独立した商品生産者そして経営者、即ち経済利益の主体であるべきだということが論証された。蒋一葦は著名な「企業本位論」を提出した。ある経済学者は「二つの権利、すなわち所有権と経営権の分離」理論、責任請負制(承包制)理論などを提出した。市場志向の改革が深化するとともに、人々は、権利を譲るだけでは、短期行動や国有資産流出をもたらすものではないと理解するようになった。一部の経済学者は20世紀80年代後期から90年代初めに実行された請負責任制は、政治と企業の分離問題、様々な企業間の平等競争問題、企業の短期的行動問題を解決できないことを認めて、国有大中型企業に現代企業制度を建設して、請負責任制と置き換えることを主張した。或る者は国有大中型企業では株式制改造を進めるべきだと提起した。1992年に党の十四大は中国経済体制の目標モデルとして、社会主義市場経済体制を確定(確立)した。1993年11月、党の十四届三中全会は「社会主義市場経済体制建設に関する若干の問題の決定」を出して、国有企業改革の方向が現代企業制度の建設であることを明確にした。併せて現代企業制度の特徴は、財産権がはっきりしており、権利責任が明確で、政治と企業が分けられており、科学に基づく管理だとした。ここから中国国有企業改革は創新の段階にはいった。21世紀の初め、中国の国有企業改革はすでに重大な進展を経ており、国有大中型企業ではすでに現代企業制度がまずは(初歩)建設され、市場経済にとりあえず(初歩)適応しており、競争力は次第に高まりつつある。大量の国有中小企業もすでに多様な形式で活動している。国有経済は引き続き国民経済の中で主導的役割を果たしており、国有そして国が株式支配する企業は社会主義市場経済の中で相当の競争力を備えた主体となっている。(以下略)

(六項目の残りについては、項目の題字だけを紹介しておく。)
p.22  四 封鎖あるいは半封鎖から開放に向かう国民経済を探索。改革と発展を促し、引き込むこと(引進來)と出てゆくこと(走出去)を相互に結合し、経済のグローバル化に順応した対外開放理論を逐次形成したこと。

p.27  五 経済の成長そして発展の理論がますます重視されるなか、改革開放後の発展の道理と科学発展観の指導のもと、どのように発展を実現するか、発展問題研究に尽力し、中国の工業化、現代化の規律性を研究したこと。

p.47  六 経済学の方法で重大な革新を行ったこと。イノベーションを重視し、実際と緊密に連携し、現代経済学の有用な成果を充分に吸収し、実証研究と数量分析を重視し、各種の対策建議を困難があっても提起し、経済科学の繁栄を促すために各種の評価奨励活動を着実に展開したこと。

#株式制度 #公有制   #薛暮橋 #株式制 #社会主義市場経済


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