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趙紫陽と企業自主権回復の試み 1978-80

以下は、向嘉貴《四川擴大大企業自主權試點紀實》載《趙紫陽在四川(1975-1980)》新世紀出版社2011年,58-64を適宜まとめたものである。 

1978年10月から80年まで。まだ趙紫陽が四川省委員会第一書記だったとき、四川において、企業に自主権を回復させる大規模な実験(試点)が行われた。最初、十一届三中全会前に6社。1979年に100社。1980年に417社。与えられる許可権は最初の6社の時14項目(條)。100社の時12項目、417社のときは20項目を制定。自主権の内容は、まとめると10の方面に分かれるとのこと。
 1)計画上の自主権。
 2)製品の販売権(銷售權)
    3)一定の価格決定(定價權)
     4)一定の製品輸出と外貨形成権(外匯分成權)
     5)   留保資金の使用に十分な自主権
  6)固定資金と国が与える流動資金を有償で占用すること
  7)連合経営権
 8)報奨金活用権
 9)機構設置及び人員配備の自己決定権
 10)  明文の規定のない不合理な費用、製品、物資、人員の要求を拒絶する権利
 他方で企業が守るべき義務も10方面あるという。
 1)四つの基本原則(1979年3月に鄧小平が定めたもので、社会主義道路、無産階級専制、共産党の指導、マルクスレーニン主義と毛沢東思想の4つを指す。その後、1981年の憲法改正で無産階級専制は「人民民主専制」に置き替えられている 補注)を堅持し、党と国家の方針、政策と法令を誠実に(認真)貫徹する。
 2)全民所有制の財産を侵犯から維持保護すること
 3)国家計画の達成、質/量・契約の時間通りの履行、品質のたえざる向上、顧客への契約の履行。
 4)燃料、動力、原料、材料の節約、コストの引き下げ、資金回転率の加速、労働生産性(率)の改善。
 5)財経規律の厳格厳守。規定の利潤、税金の適時上納。
 6)固定資産償却基金の合理的使用。
 7)先進技術と科学的管理方法の積極的採用、管理水準、技術水準、生産水準を全力で高めることなど。
 8)市場調査、予測分析を強化し、市場の需要関係の変化に応じて製品構成を適時適切に調整すること。
 9)安全生産、環境保護に配慮し、労働者の健康水準を高め、生産を発展させることで労働者の生活福利を少しずつ改善すること。
 10) 政治思想工作を強化し、労働者に国家の法律、法令労働規律を守るように教育し、政治思想の自覚と共産主義道徳品質を不断に高めて、四つの現代化(工業、農業、国防、科学技術の現代化を指す 訳者補語)への積極性を十分に発揚(調動)させること。 

 この「実験」の結果、企業の積極性がこれまでになく高まった。それは5つの方面にまとめることができるとのこと。
 第一、実験が始まるや、任務が不足するほど積極性が高まった。国家の任務が減少した企業でも、市場を開拓することで生産量、利益とも最高を記録した。
 第二、実験が始まると、生き残りのため、質や品種を増やす動きが広がり、製品の品質の改善効果が表れた。
 第三、地区を超えて、企業の間で、また異なる種類の企業間でも、連携の動きが強まった。生産での連携、集中。さらに資金の集中も起きた。これらの結果、生産能力が急速に拡大した。
 第四、労働者の宿舎、医療施設、食堂、託児所、を新たに設けたり、道路を改修したり、賃金を引き上げる動きが始まった。
 第五、企業の自主権がふえることで企業の収入が増え、労働者の貢献について企業も関心をもち、労働者も(自身の状況の改善につながる)企業の経営成果に関心をもつことで、(誰もが働き方あるいは経営に関心をもたない)大鍋飯を食う問題が改善されることが見えた。

 (この結果は、この実験をさらに継続することと、さらにそれを全国に広げることが必要だということが趙紫陽に強く意識させるものではなかったか。趙紫陽は前歴からすれば農業の専門家であるが、こうした工業における問題も、経験を通して学んでいったと考えられる。)
    吳敬璉は文革後、経済学界には経済体制改革の方向性は4通りあったとする。第一が改良ソ連モデルあるいは後期スターリン計画経済モデルで、1970年代末に四川省で進められた自主権拡大により、企業経営者や労働者の積極性を促そうとしたものはまさにこれだとする。主張者に孫冶方,馬洪,蒋一葦など。結果として効率が明らかにあがることはなく、(工員の給料や福利の改善で)財政赤字が拡大、通貨膨張や経済混乱はひどくなったとする。第二が東欧モデルあるいは市場社会主義モデル。于光遠,蘇紹智などが東欧の成果として紹介。しかしこのモデルは肝心のハンガリーなどの経済改革の困難から影響を失ったとする。そして残ったモデルの一つが、日本など東アジアモデルあるいは政府主導型市場経済モデル。もう一つが欧米モデルあるいは自由市場経済モデルだとする。この最後のモデルは政府の基本職能を公共財の提供とするもの。経済学者の認識では、政府の過剰な干渉は市場の有効性を妨げ、腐敗を生み出す。現代経済学を理解するものが増えるとともに、こうした考え方の影響力は次第に増しているーと吳敬璉はまとめている。吳敬璉《中国經濟改革三十年歷程制度思考》(2008)载《吳敬璉經濟文選》中国時代經濟出版社2010年pp.39-712, esp.48-49. 吳敬璉は、1970年代末の国営企業改革について、資源配置や企業運営で効率を上げることなく、財政赤字や貨幣の超過供給、経済秩序に混乱をもたらしたとその後述べている。吳敬璉 馬囯川《重啓改革議程》中和出版2013年pp.331-332つまり1970年代末の企業自主権拡大については、すでに見た肯定的評価と、まったく否定的な評価という相反する評価が存在することになる。しかし吳敬璉には、欧米モデルをとる中国が社会主義国家を自称していることについての納得できる説明が見当たらない。
 なお《重啓改革議程》はpp.115-117のところでは、自主権拡大は当初は顕著な成果があったが、十分な自主権が実際にないもとでの増産が経済秩序の混乱、物価上昇、財政赤字拡大などにつながり、この政策は停止せざるを得なくなったとしている。
 吳敬璉からすれば、自主権拡大で一定の成果があがったところより、その後、自主権拡大が一旦挫折することで、より根本的な改革が必要になったことが重要なのだろう。

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