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胡耀邦 党の新聞工作について 1985年2月8日

關於黨的新聞工作 這是胡耀邦同志在中共中央書記處會議上的講話。《胡耀邦文選》人民出版社2015年pp.571-592から抜粋。(写真は1985年2月西南地区視察時講話中の胡耀邦。満妹『回憶父親胡耀邦下篇』天地圖書·2016年p.598より転載)

p.571  我々の党の新聞事業は結局同様な性質の事業なのか?その最も重要な意義から言えば、一言で概括するなら、私は党の新聞事業は党の口舌(喉舌)だと言っていいと思う。自然にまた党が指導する人民政府の口舌であるが、同時に人民自身の口舌でもある。このような一言で、党の新聞事業の全部の内容と作用を概括することはできない。例えばまたそれは党が人民群衆に連絡する一種の帯(紐帶)そして橋(橋梁)であり、また人民の中にあって、党内外と国内外の情報を伝達する一種の工具である、などなど。しかし我々の党は全心全意人民にために服務するものであり、党の工作路線は群衆の中から出てきて、群衆の中に向かうものであり、であれば党の新聞事業は党の口舌の作用を充分発揮することができねばならず、当然、上の情報を下に届け、また下の情報を上に届けねばならず、その中には党と人民との連絡を強化することが入り、人民群衆の声を表現せねばならず、その中には各方面において人民群衆の情報を得る需要作用を満足させることが入っている。それゆえ、最も根本的特徴から言えば、党の新聞事業の党の口舌である。これはその立脚するところであるだけでなく、動かせないところである。

p.576  西欧資本主義国家において、政府(官方)の立場の新聞は一般に歓迎されない。それゆえ新聞作りは「非政府色」の「民営」の様相が出現している。実際いわゆる「民営」の少なくないものは「報團」がおこなっているもので、「報團」の後ろには財団がいる。我々社会主義国家においては、党と政府と人民の利益は一致しており、党の新聞は人民の新聞であり、かつ全党に依拠しており、人民に依拠して新聞をつくっている。つまり我々の党の新聞事業は広範な群衆の基礎上に建設可能である。これが正確な道である。もしこの道から離れるなら、もし個人経営あるいは同人経営で新聞をつくることが「民主」であると誤って考えるなら、それはとても妥当ではない。(それは)異なる意見を語るところに、どのような問題でも異なる意見を見なければならないところにゆくであろう。もしも国家の政治方向と基本政策問題において、それでは前に述べたように、我々人民の根本利益が一致しており、党中央と国務院の政治方向と基本政策がすべて人民利益を代表するのであれば、これらの根本問題において、皆さんの声が同じであることは必然で自然でもある。断固として「異なる」声を発表することは、不自然となる。もしも各種の具体問題において、
p.577   皆さんの声が自然さまざまで異なるのであれば、現在の新聞刊行物でこれらの異なる意見が常に発表され、様々な声はなお党の激励と人民の歓迎を受ける。もし現在発表がなお多くないのであれば、もっと多く皆さんが発表することを希望する。これもまた我が国人民民主生活の正常発展の一つの表現である。

p.579  新聞事業は党の口舌の役割をよく果たさねばならないという前提のもと、我々が求めるのは新聞工作者の積極性、主動性、創造性を全力で発揚することであり、またこの積極性、主動性、創造性を束縛することではなく、各種の新聞、放送、テレビの様相(面目)の完全一致(完全雷同)を求めるものでもない。

p.579  新聞工作の性質が新聞工作の任務を決定する。党の新聞工作の主要任務はなにか?一つの言葉であらわすなら、大量生き生きとした事実と言論を用いて、党と政府の主張と、人民の
p.580  各方面の意見と活動とを、速やかに、正確に全国全世界に伝播することである。

p.582  これをまとめるに、我々が党の新聞事業は党の口舌とならねばならないというのは、決して我々の新聞工作者がただ中央が話した話をそのまま複製することしかできないというのではない。そうではなくて、中央の路線と政策に符合する条件のもと、新聞工作者は自身の客観事物の正確な理解によって、新聞報道を行い意見を発表できるし、自身の積極性、主動性、創造性を必ず十分に発揮できる。


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