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Alfred Marshall 1842-1924

アルフレッド・マーシャル By David R. Henderson
Cited from Econlib.org

 Alfred Marshallは、1890年から1924年の彼の死までの間、(それ自身が世界の経済学において権威であった)英国経済学の権威であった。彼の専門は、経済の全体的研究とは異なり、個々の市場や産業を研究するミクロ経済学であった。その最も重要な本『経済学原理』(訳注 初版1890年)において、マーシャルは、財の価格と産出量は、供給と需要の双方により決定されるー(供給曲線と需要曲線という)二つの曲線は、ハサミの刃のように均衡するところで交わることを強調した。現代の経済学者は、なぜ財の価格が変化するかを理解するに際して、需給曲線をシフト(移動)させる要因を探すことから始めるがーこれはマーシャルに由来する接近法である。
 またマーシャルに需要の価格弾力性の概念も由来している。それは買い手の価格への感度sensitivityを表すものである。
 消費者余剰consumer surplusの概念はもう一つのマーシャルの貢献である。彼は、消費者の買う商品の価格は特徴として同一だが、追加単位当たりの消費者にとっての価値は(次第に)減少していることに気づいた。消費者は価格と限界価値とが等しくなるところまで買おうとするだろう。最後一つまでの以前のすべてについて、消費者は効用benefitを、彼自身の価値valueより少なく支払うことで刈り取っている。効用の大きさは、すべての単位の消費者にとっての価値と、その単位に支払われる金額との差に等しい。この差額は消費者余剰と呼ばれる。消費者に享受されるところの余剰価値あるいは使用価値utility。マーシャルは同様に生産者余剰の概念も導入した。その大きさは、生産者が実際に支払われる金額から、彼が進んで受け取るもの(訳注 経費)を控除したものである。マーシャルはこれらの概念を、課税のような政府の政策によって厚生が変化するのを測定するのに用いた。経済学者はマーシャルの時代から手段を洗練させたが、マーシャルの基本的な接近法は、今厚生経済学と呼ばれるものに依然残っている。
 時間を経過することによる需給における変化に、いかに市場が適応しているかを理解しようとマーシャルの3つの時期のアイデアを提起した。最初は市場期で、商品の在庫が(なお)固定している時期である。二番目は短期で資本は増やされないで、労働や他の投入により(生産供給が)増加する時期である。三番目が長期で、資本も増やされる(appliances)ことで(生産供給が)増加する時期である。
 経済学を静的よりは動的にするために、マーシャルは最適化の概念を含め、古典的なメカニズム(mechanics)という道具を用いた。このことにより彼は、その脚注を追跡した新古典派の経済学者たち同様に、技術、市場制度、人々の選好を所与のものとした。しかしマーシャルは自身の接近法に満足していなかった。彼はかつて「経済学者のMecca(人々を魅了する場所)は、経済動学よりむしろ経済生物学にある」と書いた。言い換えるとマーシャルは、経済は進化過程にある、技術、市場制度、人々の選好は人々の行動とともに進化すると、言いたかったのである。
 マーシャルは多数の条件、例外、脚注を付けずに発言したり、見解を示すことはほとんどなかった。彼は自身をそれなりの数学者と紹介するところがあり、CambridgeのSt.John’s Collegeで数学を研究した。彼の量的表現が限られていたことは、layman(特別な知識のない人 普通の人)に彼はアピールしたかもしれない。
 マーシャルはロンドンの中流家庭に生まれ、神父になるように育てられた。彼は両親の望みを拒み、数学と経済学で学者になった。

 (解題)  以下のThinking like a economistの説明は、商品の価値=価格の説明において、生産に必要な労働時間を重視する労働価値説から離れて、需給が均衡するところ、また消費者の限界効用marginal utilityに等しいところに商品の価格が決定される限界効用理論(marginal utility theory)を述べたところにマーシャルの意義を求めている。しかしこのような限界効用理論は1870年代にジェボンス、メンガー、ワルラスなどが前後して主張したことが知られている。マーシャルの役割は限界効用理論を提起したというよりは、それをできるだけ厳密に述べて体系化したことにあるのかもしれない。
   限界効用理論の創始としては、ウィリアム・スタンレー・ジェボンズ1835-1882の『経済学理論』(1871)、カール・メンガー1840-1921の『国民経済学原理』(1871)、レオン・ワルラス1834-1910の『純粋経済学要綱』(上1874,  下1877)が指摘される。しかしそこで書かれていることの意義が理解され、彼らの経済学を革新したものとして理解されるのには時間がかかった。その意味で、権威のあるテキストであるマーシャルの『経済学原理』(1890)が限界効用理論を受け入れてまとめられたことには、経済学史上、大きな意味があるではないか。
 他方で、マーシャルは新古典派の教科書における説明をすでにこの時、展開していたと言えるだろうか。新古典派では、供給曲線を限界費用=価格となる線だと説明する。マーシャルの供給曲線の説明は、限界費用のほかに、限界生産者の生産費用を重視する考え方もあり、複雑なものだとするのは、福岡正夫「マーシャルの供給曲線」三田学会雑誌103-1(2010)である。マーシャルが、近代的な経済学の租の一人であることは正しいが、『経済学原理』(1890)そのものの理解については、原典に即した検討が必要である。


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