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3.3 包産到戸の意義

『中国農村改革の父 杜潤生自述』農村漁村文化協会2011年8月pp.121-131  1956-1957年 合作化が進められると脱退騒ぎとともに、包産到戸の動きが表面化した、脱退は集団化に反対するものだが、包産到戸は制度内部の修正といえる、と杜潤生はいう。p.121
生産請負 作業請負を生産隊ではなく農家に請け負わせるものp.121
合作社はむりやり設立されたもの 内部で個別経営(単干)を実施するものp.122

浙江省永嘉県の経験 pp.123-124 
包産到戸で減少したもの 仕事の手抜き 原料のごまかし
     よいこと 責任の明確化 作業の質の改善 みんなが頭を働かせ 確実に増産できるようになったこと 幹部と大衆との関係がよくなった 出役記録が楽になった

四川省江津県の経験p.124
出役意欲の改善に有効 合作社の拡大 社員は仕事を押し付けあうようになり互助組や個別経営より意欲は低下

(集団経営 労働は義務で強制 規模大きいほど自由性の喪失 仕事の手抜き 責任の不明確化 平等主義では仕事と成果の関係があいまい
個別経営 仕事と成果の関係が明確化 仕事の手抜き減る 増産したものは自分の成果:増産意欲の刺激 自発的労働)

1956年末に温州地区党委員会の機関紙が包産到戸を批判 最高指導層に訴えた結果 包産到戸はタブーになるp.124

1959年10月中旬 党中央は江蘇省での農家請負 包産到戸是正を全国に伝達 これは集団から個別経営への後退と指摘 p.125

党中央が全国に伝達した河南省党委員会報告に含まれる新郷地区委員会党書記の小農経済優越論 生産と生活の規模はちいさいほどよい 集団方式は農民を締め付けすぎ、農民の自由を奪い、生産の秩序を乱して(いる)・・・農業合作化(は)・・・農民から労働力をとりあげて、自由な労働をさせなくさせたが、公社化以降は、さらに生活や食事も取り上げてしまった p.125

戸別経営あるいは生産責任制が望ましいと、多くの農民が提案上申に及んだことが記録されている pp.126-129

上級機関が生産隊を採算経済単位とすることは、後退の極限であると言明していたにもかかわらず、多くの地域から、包産到戸を行わなければ、集団経営の問題を解決することは不可能であるという報告が帰ってきた。p.129

では、毛沢東はなぜ包産到戸を許さなかったのであろうか。このことについて答えた人はいない。毛沢東は社会主義は必ず私有制を消滅させ、資本主義の復活を防止するものであり、そのためには「農業生産の大軍」を組織し、できる限り早く社会主義に進まなければならないとの考え方を堅持していたと私(杜潤生)は思っている。p.130 

最後に今でも集団経済に残る農家が存在することが触れられている。(このことは最近もネット上で報道されている。)実際に生活の改善が実現したことと素晴らしい指導幹部の存在が指摘され、具体的な地名も上げられている。河南省新郷の劉庄、江蘇省の華西、河北省の周庄である。p.131

#包産到戸 #毛沢東 #集団経済 #人民公社 #単干





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