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Walter & Howie(2011), Red Capitalism, John Wiley and Sons:2011

p.21  朱鎔基が進めた金融改革で驚くべきことは、包括的で、変革的であったことと、一貫性をもって進められたことだ。しかし、特別利益集団が支配的政治実体である中国共産党と共存している、中国の政治体制の分散的fragmented構造のもとで、見直し(follow through)に欠けることは不可避であったかもしれない。この構造を動かすのは、市場経済そしてその需給の法則ではなく、政治的エリートを構成する革命家族の特別な利権をめぐり構築された慎重にバランスをとったメカニズムであった。支配集団が変わるとき、利権のバランスにも不可避的な変化が生ずるであろう。しかしこれらの家族は、体制の安定という、ほかのすべてにまさる一つの利益を共有している。これが「和諧社会」と呼ばれるものが意味することである。
 1998年に、アジア金融危機の波と、広東国際信託投資公司(GITIC)の倒産に直面して、(革命)家族は危機において団結した。彼らは金融の弱さは彼らの体制を脅かすことを認め、国際的経験で啓示される徹底した銀行改革を支持した。数年経った今では、彼らの銀行と経済が地球規模の金融危機からおおむね隔離されたことは、成功のあらわれとして焦点が当たっている。(革命)家族は自身が達成したことに高い確信を持っている。2兆ドル以上の外貨準備をもち、Fortune 500のトップの銀行をもっているときに、そこにどんな問題がありえようか?
p.22  加えて江沢民/朱鎔基の時代は、物語のように豊かなNational Championsの集団(その周りには多くの家族集団がいる)を生み出した。中国における家族ビジネスはBig Businessになった。北京オリンピックには1200億米ドル以上が支出された。上海国際博覧会や広州アジア競技会は、小さくimmaterial見える。60周年記念パレードのための数億ドルはなんでもない。これらのイベントは、ほかのどの国がかつて行ったのに比べてもますます大きく、より高質かつ高価になったが、それは個人がBenz 600を運転している、あるいはLoui Vuittonの最新バッグをもっているのを見られることと大差ない。物語のような富の外観をつまり、成功の外観をあたえる。自己完結的self -fulfilling予測となった。金融制度の明らかな力が所与であるとき、それ以上の改革の必要がどこにあるのか?
 法的あるいは道徳的な対抗力counter balanceを欠いている、社会と文化のもとにいる、エリート家族への、制限のない西欧式資本主義の衝撃を把握しないでいることは、今日の中国の現実を見落とすことになる。強欲は「体制内」の「国有」経済の保護主義の壁の背後の推進力である。そして貨幣は言葉である。この壁の向こうをはっきりした視界には政治的イデオロギーの雲がかけられ、政治的イデオロギーは継続している「国家」所有の陰に国有資産の私有化を隠している。国内の風景を支配している寡占は、「National Champions」だとか中国「社会主義市場」経済の「支柱」だとよばれているが、それはこの同一の家族により統制されている。ある国有企業の首領がかつて賢明にコメントした、「誰が貨幣を持っているかは問題じゃない、問題は誰がそれを使うかだ。」。中国ではだれでも貨幣を使うことを欲しているが、それを如何に使うか責任を取ろうとする人はほとんどいない。
 中国はカール・マルクスが「資本の原始的蓄積段階」と叙述したところを今通過しつつあるというのは中国でよく使われるjokeだ。時折の衝撃的な「腐敗」スキャンダルは、なにが実際のところ主流の私有化プロセスであるかの決定的内幕を提供している。すなわち経済政治的利益の増分を巡る小さなグループ間の争いを。名目的には「全民により所有されている」国有経済は、中国の支配者、その家族、関係者そしてその奉仕者retainersたち、彼らはすべて自身のためまたただ彼ら自身のためにビジネスに従事しているのだが、その彼らによって削り取られつつある。1978年の政治的緩和のまさに最初から、経済的な力は中国に二つの異なる経済の創造に向けて動き始めた。すなわち国内志向の国有経済と輸出志向の私有経済。前者を多くの人は中国そのものと混同しているが、国有経済は「内部システム」で機能している。
p.23    国家の全面的支援により出資され支えられている、この国有経済は、政治的エリートが提供できる資金的恩恵largesseすべての受け取り手beneficiaryであった。それは常にそして今もそうである。それは中国の1979年後の政治構造の基礎であり、党が自身守ろうとするまたその支配を維持しようとする背後にある壁である。
    過去30年にわたり中国の国有部門は、西欧企業、海外の証券取引所の上場会社のような虚偽の外観guiseをとってきた。そして会計士、弁護士、投資銀行のような関係する専門家を専門家を使ってきた。これはその本質を隠すcamouflagesするものだ。すなわち党のノーメンクラツーラ(支配階級)を中心とする資金援助patronage体制という本質を。巨大な国家企業はその国際的な競争相手の金融技術を採用し、数十億ドルの資本を調達し、中国の歴史上かつてない経済規模に成長している。しかしこれらの会社は自治的なautonomousな法人ではない。それらは法人といったものとさえいうことはできない。かれらの上級経営陣、そして法人の運命それ自身は完全にその政治的な後援者patronsに依存している。中国の国家所有経済は家族ビジネスであり、これらの家族の忠誠心は相互に争っている。(また)政治的権力を保存する要請と、ビジネスをする強い衝動との間で緊張がある。今のところは常に前者が勝っている。
   もちろんNational Championsが偉大な富を並べており、そしてその結果、ある高官がかつてこの「貨幣製造機」呼んだものの周りに党内の利益集団が形成された。しかし誤った判断はすべての人類の性格を形成するものである。単純な誤ったステップは強力な富製造機と、その背後にいる家族の沈没bring downになりうる。そのとき機械を守りながら政治的標的をいかに免れるかという問題が現れる。「党」すなわち勝利している利益集団は、適当な理由をつけて介入し、CEOを取り替え、新たなプロジェクトに投資し、あるいは合併を指示する。これらの特徴すなわち、法律、会計原則、市場、そしてその他の国際資本主義のメカニズムの採用は、まさに今日の中国を特徴付ける形式主義の顕著な事例just examplesである。名称は西欧と一緒であるがその内容と機能は、表面の下に隠れている。決定的な部門における国有(企業)の規模は、政府の巨大な力とともに、この資金後援体制を中国経済のあらゆる側面に広げている。それはこの表面的には国際的な組織の実体そのものを不可避的に損なっている。
   改革開放政策の30年は過去170年間の
p.24   中国の歴史においてもっとも平和で経済的な成功をもたらし、3億以上のひとびとを貧困から引きあげた。この成果は知られるべきである。しかし中国の資本主義のスタイルの特徴は、政治的エリートがいかにある組織、法人、経済部門に集結しているかcoalesced、いかに政府と様々な利益集団が西欧の金融知識を使ったか、そして国家が危機をいかに過ごしたかによって、深く特徴付けられている。結局、全ての国はそしてすべての経済政治体制は、ブームと崩壊、スキャンダルと野蛮な投機の誤りを経験するものだ。違いはそのあと、それぞれの国がどのように処理しているmanagesかにある。本書の目的は、カーテンの端を引き上げ、後ろにあるものをむきだしにし、その体制の運用の現実をそれが使っている言葉で叙述すること、そして直視することがすべての人のためになるという信念のもとに、未来を見ようとすることにある。

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