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文珍「刺猬,刺猬」『天涯』2019年第6期

 作者の文珍は1982年湖南生まれの女性。中山大学金融系卒業後、大学院は北京大学中文系。作者の履歴はこの小説の主人公筱君(シアオ・チュン)の履歴と重なる点が多い。どこまでが創作でどこまでが経験なのか。『2019中国年度短篇小説』漓江出版社2020年1月pp.286-306から採録した(原載『天涯』2019年第6期)。刺猬(ツーウェイ)はハリネズミのこと。この小説は、お人好しの母についての主人公による述懐。中国の人の生活や人生についての考え方に理解できることも多い。

 主人公が14歳半、高中に入るときから学校に寄宿したという話から始まる。学校は自宅から車で片道1時間半かかるところで、土曜日に自宅に戻り日曜に学校に戻る生活をしたとある。その事情として挙げるのは、自宅に両親、父母それぞれのオバアさん、父方の失業中のおじさん、加えて間借りしている同郷の母子など、主人公以外に7人がひしめいていたこと。実家の広さは借家で90平方メートル足らず。場所はS城沿海特区、時期は1990年代後半。事情としては、郷里の人が都会に出て働くのを助けたいという母の気持ちのやさしさがあったとする。お父さんは国有企業に居たが民営企業に移った(下海)。しかし社長ともめて失業して1年余り、毎日家にいた。お父さんが家にいて、料理を作ってくれたのは良いが、あとはパソコンでゲーム三昧。また倹約で、空調を止められて暑くて大変だった。また大変なのは洗濯で、家主お下がりの二槽式の古い洗濯機を使って洗っていたが、そのあと干すのは大変だった。

 家に居た、失業中の父方のおじさんは元は空港で大型バスの運転手だったが、理由は分からないが上司ともめて退職。結局は郷里に戻った。20年後に墓参りの時に郷里の実家の2階に住んでいるので出会ったが、愚痴を言うだけで、仕事はしていなかった。

 母方のおじさんも同居したことがあった。その時、同居人は筱君を含めると10人になった。この人は(国営)化学工場の技術員だったが、90年代に工場の前に飲食店を開いたはよいが、書記がいつも来ては代金は払わず営業が成り立たなくなった。そこで母を頼ってきて、借金をしてまた、近くに料理店を出したが、車が止まるようなところでもなく、付近の人出も少なく、倒産してしまった。その後、母は郊外に文具店を開くことを考えたが、これも再び1年足らずで失敗した。

 当時、筱君のお母さんは40歳直前。快活で自信に満ちたときだった。沢山の人に求められたり、沢山の人の面倒を見ることが大好きだった。他方、筱君も日夜勉強した。そうすることだけがママを失望させないと思い込んでいた。筱君は日記に、私の最も愛するのはママだと書いた。日記を筱君のママに見せたことはなかったが、ママは当然知っていた。

 筱君の寄宿舎は二人で一部屋だった。筱君と相方の子は夜の12時には寝て、朝の6時には起きて、教室に行き自習した。教室の中に朝の光が差し込む中、誰よりも早く教室にいた。

 筱君のママはどんなに忙しいときも、筱君が帰宅するとき、バス乗り場で彼女を出迎えた。そこから自宅までの10分足らず。ママは最近のニュースを筱君に聞かせた。ママの話は筱君が小さいときからの習慣でもあった。

 或る時、バス乗り場に送っているときにママは、ロンドンで春になって
、冬眠から覚めたハリネズミが雪の下から出てきた、という話をした。「若いハリネズミのお父さん、ハリネズミのお母さん、二人の間には小さな子供が生まれました」。筱君は、その後が気になって、学校について食事をしてから、(当時はまだ携帯電話がなかったので)購買部から電話をした。「その後はどうなったの?」ママは少し考えてからこう言った。「自宅に帰って育てたんだろうね。」

(しかし)大学生になるころから筱君はママを強烈に批判しはじめた。そのころにはお父さんは新たな仕事を始め、母方のおじさんもカネを稼ぐ路にたどり着いていた。ママの神経はすり減って黙りこくっていた。「ママは人が好過ぎる」「人助けばかりしてそれがなにになるの」。
ママは時に笑って「あなたはハリネズミ(刺猬)ね。あなたとは話さないわ。」と答えた。

 やがて筱君は大学を卒業し、北京で大学院に進む。北京にとどまり新聞社に就職。結婚もしたが、子供はいらないと。ママのように生きることのどこがいいの?

(ところが)30歳後半のある日、筱君は雨の日はいつも地下鉄の駅まで、車のない同僚を送り届けている自分を発見する。
彼女はもう同僚を載せないと決意するが、もし雨がひどくなったら、それも実際はできないことはわかっている。

 ママの60歳の誕生日の少し前、ママからS城に出張で来れないかとママから電話があった。筱君は「私はとても忙しいの。ママの誕生日程度で帰れるわけないでしょう」と即決で拒絶した。でも実のところは、名店の大人数で食べれる巨大なケーキを早々と予約済だった。

 誕生日の日の夜。筱君はおめでとうとメールを入れたがママから返信がない。翌日の朝になっても返信がないので、パパに電話を入れた。
 パパの話では「実はママ方のおじいさん(ママのお父さん)の家でママの誕生祝いをすることになった。おじいさんの方に人が多いから。従兄弟にも子供がうまれて。彼らをわざわざ越させることはない。みんなで一緒にたべればいいとママがおじいさんの家にゆくことになった。ところがすごい雨だったんだ。パパの車は修理中ですぐに出せなかった。ママは車がなかなか捕まえられなかった。」
おじいちゃんの家でやるなら、ケーキをそちらに送るのだった。あれは重いし。と筱君。
「そこで雨の中、ひっくりかえったんだ。片手におばあちゃんの手。もう片手にケーキ。それにおじいちゃんへの届け物もあったろう。ママはああいうひとだから、他人のことばかり考えていたんだ。でケーキも壊れてしまった。ママはパパがすぐに来なかったと一晩中怒っていた。以来、ママは誰の電話も受けていない。昨夜は良くねむれていない。起こそうか?」
筱君は「起こさなくていい」と断った。「少し寝かせてあげて」。

 家の中に人が最も多かったあの年、筱君は、突然ママが死んだ夢を見たことがあった。正に週末、家にいるときに。すぐにママの部屋に入りママの胸の中で泣いた。
 ママのように一生を過ごすことはどうだろうか。老人になると、なにもすべては役には立たない。ボケた母方のおばあさん(ママのママ)と同じように、次第に誰もが他の人を忘れ、また多くの人から忘れられる。しかし、ママが楽しく暮らしたことは事実だと筱君は思う。この年になってそれがはっきりしてきたと。


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