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張卓元 中国改革の回顧と展望 1998

書誌事項は以下のとおり。張卓元<中国経済体制改革總體回顧與展望>載《經濟研究》1998年第3期15-22.この論文は1998年3月香港大学アジア研究センター主催開催の「中国経済改革:比較と展望」国際研究討論会に提出されたもの。経済改革の論点あるいは中心が価格改革から、企業改革とくに国有企業改革にシフトしていることを繰り返し述べている。残念なのは、その企業改革の中身がここでは十分には展開されていないことであるが、価格改革から企業改革への、経済改革の中身の転換を意識させる歴史的論文であることは間違いない。前半3分の1程度を訳出する。なお張卓元は1933年生まれ。中山大学経済系で学んだあと中南財経学院で学び、社会科学院経済研究所に入所している。穏健改革派とも呼ばれている。

中国経済体制改革、全体的回顧と展望
                 張卓元(中国社会科学院経済研究所)
 1979年に改革開放が始まり、現在まですでに二十年近い。20年近くに及ぶ努力により、経済体制にはすでに重大な変化が生じている。伝統的計画経済体制は多くの重要な領域で退出を開始しており、新たな社会主義市場経済体制はすでに初歩的な確立(建立)に近付き、経済運行で主導作用を発揮(開始)し始めている。改革と軌道転換(転軌)は中国経済に活力を注入し、経済発展を加速した。1979年から1997年の国内生産価値は年平均10%近い成長(率)であった。世界の前列に立って、人々(人民)の収入と生活水準もまた急速に上昇し1979年から1997年に平均918%に増加した。1997年の為替レートでみて一人当たりGDPは720米ドルまで増加した。体制の軌道転換、経済の急速な発展、経済構造の急激な変化、(これらは)基本として社会の安定が保持され、経済が安定した条件の下で実現した。(中国の)経済体制軌道転換は、全世界が公認する成功例の一つになった。以下は幾つかの側面に分けて、経済体制改革に対する全体的回顧を行い、同時に若干の展望を行ったものである。

 一、市場メカニズム作用の拡大から社会主義市場体制目標へ
 経済体制改革は開始されたときから明確に市場志向(取向)であり、少しずつ市場メカニズムの作用を拡大した。20年近く大きな繰り返し(重複 揺り戻しの意味か 訳者)はなく、1992年には明らかに社会主義市場経済体制を目標モデルとするところに到達した。
 1979年、改革は農村から開始され、家庭連合生産制が実施され、農民に生産経営自主権が与えられ、商品生産発展を含め市場に入る流通自主権が与えられた。この改革は体制の効率を明らかにとても高め、農村経済は迅速に活発化し、農産品も急速に成長、農民の収入も顕著に増加し、改革にはとても良いお手本となる効果があることを示した。
 80年代初期中期に至ると、多くの都市が前後して、野菜、果物、水産品その他小商品などの価格を自由(開放)にしたところ、これらの商品(産品)が忽ち泉の水のように、あちこちから湧き出てきた、価格が上がり始めたものもあるが、供給が大量に増加したので、全体としては価格は落ち着くようになり、一部の商品は値下がりするものもあった。このあと耐久消費財(品)そして主要消費財の価格自由化でも、同様の効果が得られた。これは多くの大衆が市場志向の改革を受け入れた有力な証拠(説服)である。
 80年代末、多くの人は皆、商品経済を全力で発展させ、市場メカニズムの作用を拡大すべきだと考えた。しかし市場経済に対しては懸念(疑慮)もあった。市場経済は資本主義と同じものだ(等同於)だという伝統観念は、幽霊のように人の思想を縛っていた(禁錮)。このとき改革開放の総設計師で旗手である鄧小平は、高らかに提起した。計画が多いか市場が多いかは、社会主義か資本主義かの本質的区別ではない、(また)計画経済と社会主義は等しくなく、資本主義にも計画はある、と(鄧小平1994)。鄧小平の講話は、人々の視野を広げ、ますます多くの中国人により受け入れられ、承認された。1992年10月、党の十四大は社会主義市場経済体制の建設を、中国経済体制の改革の目標として確定した。この後、中国の市場化は、前進のスピードを速めた。
 1994年財政税収体制、金融体制改革は重要な大きな一歩を進めた。人民幣為替相場の二重相場制―並行体制、市場を基礎とする管理された変動相場制を実現した。1996年には人民幣の経常勘定範囲内の兌換を実現した。これらは社会主義市場経済体制の建設にふさわしいマクロ管理の初歩的基礎になる。
 消費財価格を今一歩自由化し、生産資料の二重価格は、基本は市場価格に一本化する。目前、市場調節価格は、社会消費財小売総額中90%以上の比率を占めている。生産資料販売総額、農業副産品売上総額の中ではそれぞれ80%前後を占めている。これは実物商品価格の領域で市場価格体制が既に開始(初歩建設)されていることを示している。
 各種各類の市場が迅速に建設され発展している。目前、全国商品交易額の85%以上は市場を通した交易が実現している。とくに市場の需給環境には重大な変化が生じている。商品市場はすでに伝統体制下の売り方市場から買い方市場に変化した。生産要素市場もまた急速に発展した。資本市場はこの2年間に大発展し、国内上場会社の総市場価値は国内生産総価値に比して1995年には6%に過ぎなかったが、1997年8月にはすでに25%に達している。
 国有企業改革についての思考(思路)にも重大な変化があり、もはや請負制にこだわらず(沿襲),現代企業制度建設を改革の方向とすることに変わった。1994年に開始された現代企業制度の試行対象は、国務院が直接管轄が100社、各地区各部門が決めたものが2500社あり、豊富な経験が得られた。目前、国有企業改革の重要な戦い(攻堅戰)が進行中である。
 社会保障制度は建設が急がれる。新たな社会保障システムは、社会全体(社会統籌)と個人の勘定、養老、医療保険制度とを結合するもので、失業保険、社会救済制度をさらに完成させる。都市と農村で最低生活費制度を設ける。このほか都市住宅専用資金積立(公積金)制度を進める。現在、住宅専用資金積立制度は800億元余りに達している。

 二、漸進式漸進改革、一度で目標到達を望まなかった
 経済体制改革は漸進式であって、ショック療法(摒棄 休克療法)を取らず、一度で目的達成に進まなかった。漸進的改革の最大の良いところは、社会の震動が過大になることを避けられることである。社会の安定条件を保持しながら改革を進め、自由化(開放)を拡大する。改革がもたらす利益を調整して、社会公衆が受けれられる範囲にし、改革をうまく処理、関係の安定を図る。経済体制の平穏が軌道転換を実現する。これが中国の経済体制改革がどちらかと言えば成功し、その経済体制軌道転換がうまく進んだ秘密である。
 漸進的改革成功の主要な指標としては、市場化改革の推進過程で、経済は早い速度で発展し、連続20年間2桁近い速度で成長を続けた。同時に物価上昇率は公衆が受け入れられる範囲にとどまった。1979年から1997年まで社会小売物価の上昇率は平均713%であった(都市住民の消費者価格上昇率は平均816%)。(年率で)2桁には達しなかったので、経済や社会の安定に危険が及ぶことはなかった。経済は早い速度で発展し、物価上昇率は全体として言えば、住民が受け入れられる範囲だった。全国人民の収入と生活水準はあまねく大きく上がり、改革の恩恵が獲得された。これは改革が公衆の広範な支持を得ることにつながり、改革の勢いは不可逆となった。
 漸進的改革は各方面に姿を現した。農村で改革が始まり、その後、都市に広がった。市場経済にどちらかと言えば適応している非国有経済は発展、そのあと国有経済改革が重点的に推進されている。まず商品市場が発展し、その後、生産要素市場の発展が重視されている。価格改革がまず準備されて行なわれてのちに、国際市場価格との連携が次第に調整結合されている。生産、流通、価格などすべてで計画内外の双軌制が出現したが、その後は市場単軌制に改められるようになった。経済特区、沿海都市の改革開放が一歩先行し、次第に内地に押し進められ、全方位開放が実現した。改革推進の方法はこのようであった。まずは石頭を探って河を渡る、見ながら一歩一歩進む。その後、経験が蓄積されるのに伴い、互いに協力して少しずつ実行し、全体を進める。あるいは先に易しいことをして、のちに難しいことをする。先に容易に改められる領域を改革し、最後に重要な戦いとして国有企業改革を推進する。
 漸進的改革は決して改革がゆっくりとしていることを意味しない。経験が示すところでは、改革は不断に進み、時々止まったりはしない。一般的に言ってマクロ経済が比較的良好で、物価上昇率があまり高くない条件の下、市場改革の歩みは少し大きく少し早く進みうる。(以下略)


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