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アンドレアデス『イングランド銀行史』1904

 著者はギリシャ人(アテナ大学経済学部教授)でこの著書はパリ大学法学部経済学博士学位論文としてフランス語で1904年に出版されたもの。英語版(1909)も知られる。手元の翻訳は、町田義一郎(1897-1986)と吉田啓一の共訳の形で、1971年に日本評論社から出版されたもの。古典の一つとして、手元に置いて繰り返し読んでいる。私たちの学生時代は金融の勉強はイギリスの金融制度の歴史を学ぶことから始まった。訳者の町田先生、吉田先生とは面識を得る機会はなかった。以下は内容のメモである。

1編 17世紀における金匠の役割が銀行業の発生とみなせること。金匠への預託。金匠手形。貸付。問題はその金利が法定金利を上回る高利だったこと。20%あるいは30%。
 他方、国王は、フランスの侵略の脅威に対し資金を必要として商人たちがロンドン塔に預託していた地金を差し押さえたり(1640年)、金匠から多額の借金をしているもとで海軍を増強しようと、大蔵省のあらゆる支払いの12ケ月停止を宣言したり(そのため金匠も支払いを停止し、金匠に預金していた商人が破綻した)(1672年1月)。要するにお金に不足していた。
2編1章 イングランドでは利子は787年の2つの宗教会議で禁止された。その後14世紀に至り高利禁止の布告が出されるようになり、1545年にその歩合は10%とされた。1624年に8%、1651年に6%に引き下げられた。
2編3章 1694年のトン税条例そして銀行条例(120万ポンドの資本総額を政府に貸し付け、8%の金利と経営費4000ポンドを政府から得る。その資本総額を限度とする発行権を得る。12年間の銀行特許。つまりイングランド銀行設立は政府の低利資金繰りが目的)。イングランド銀行と大陸の主要銀行との比較(金匠同様に紙幣を発行して利潤を創造。その紙幣はイングランド銀行自身の信用力=正貨との交換可能性で流通。大陸の銀行は預金銀行に過ぎず、法的流通力、独占権に依存していた。などの点で異なっている。)
 2編5章 鋳貨の変造(削り取り)をめぐる記述
 2編6章 土地銀行の計画の破綻(1696年6月)とイングランド銀行特許状の更新(1697年) 

#イングランド銀行 #高利禁止 #中央銀行 #金匠    #金融史

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