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浜離宮恩賜庭園

 江戸時代の承応3年1654年に、徳川将軍家の鷹狩場であったところに四代将軍家綱の弟の松平綱重が海を埋め立て別邸を建てた。その子の綱豊が六大将軍家宣(1662-1712:在職1709-1712)となったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり「浜御殿」と呼ばれるようになり、その後、歴代将軍による改修を経て、十一代将軍家斉(1773-1841:在職1787-1837)の時代に現在の姿が完成している。明治維新の後は皇室の離宮となるが、関東大震災や戦災によって損傷。昭和20年1945年11月に皇室から東京都に下賜されて現在に至っている。
 この庭園の大手門入口はJR新橋駅からゆりかもめ新橋駅を経て、徒歩12分の位置にある。浜離宮でよく知られている風景は、海水を引き入れた潮入りの池に浮かぶ御茶屋の景色である。しかし広大な庭園には、そのほかの魅力も隠されているように感じられる。
 ここは江戸幕府あるいは歴代将軍により、どう使われたのだろうか。江戸城とどのように使い分けたのだろうか。またここはそもそも鷹狩の場所であり、鴨場と呼ばれる鴨を取る猟が行われていた場所も二か所ある。それゆえか庭園という定義とは異なるような緑陰に覆われた場所が多い。その鷹狩や鴨猟は何を目的にどの程度の頻度で行われたのか、ここに出城がある目的はそもそも江戸の守りではないか、といった疑問も思い浮かぶ。
 アクセス:JR新橋駅から「ゆりかもめ新橋駅」の陸橋を経て徒歩12分で大手門口。
 据傳这里有引海水入池中的潮入之池和两个鴨場,在江戸時代具有江戸城的出城功能,曾経是德川将軍的庭園。明治維新后,成為皇室的離宮,改名為“濱離宮”。因関東大地震和戦争縁故,失去了昔日的風采。昭和20年1945年11月下賜于東京都。(東京都公園協会中文パンフより)

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