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ロシア革命 戦時共産主義から新経済計画へ 1917-1921

By John Simkin, War Communism
Cited from Spartacus.com

 10月革命のあと、ボリシェビキの新政府は、土地の私有制を廃止し、農民たちpeasantsに分配を始めた。銀行そしてPutilov Metal Worksのような大会社は国有化され、工場生産の労働者管理が始まった。
 市民戦争の間、政府は戦時共産主義として知られるようになるものの導入を決定した-今やすべての会社companiesは国有化される、政府が何を生産すべきかを決定する。政府はまた、人々がどの産業で働くかを強制する権限をもつ。また兵士たちが、穀物と野菜の取得のために農村に送られた。農民たちは、これに耕作地を刈り倒すことを返答とした。1920-21年にはVolgaの波止場basinとSineriaで農民たちの蜂起があった。
 戦時共産主義はロシア人が10月革命の結果得た自由の多くを奪い去った。レーニンVladimir Leninは、この政策を白軍を打ち負かすには必要だと主張することで正当化した。この政策は社会的不満を生み出し、騒乱、ストライキ、デモを導いた。
 『スターリンの弁護者apologist:Walter Duranty』(1990)の著者Sally J.Taylorは、次のように論じた。「戦時共産主義と呼ばれているものは、抑圧とあからさまな暴力とを、農民から肉と穀物を確保する主要手段とするようになった。塩、ケロシン(原油を蒸留したもの 燃料・照明などに使う)、マッチのような基本物資が供給不足だった。長靴や農具など重要な製品が入手できなかった。労働への報酬がほとんどないなか、農民たちは自身の当面の必要以上に育てることにほとんど関心を示さなかった。さらに穀倉地帯での壊滅的な日照りが、すでに枯渇していた僻地に不運を加えた。全国民が疲れ果てていた、道徳的崩壊状態だった。」
 クロンシュタットの蜂起(訳注 1921年3月1日発生)は政府が不人気との受け止め方ideaを強めた。そして1921年3月、レーニンは彼の新経済政策NEPの詳細を発表した―農民たちは公開市場で食べ物を売ることが許される、また彼らのために働く人を雇うことが出来る。こうしてその農場の規模を拡大した農民はクラークkularksとして知られるようになった。
 新経済計画NEPはまた、国内取引の一定の自由を認め、一定の私有商業を許し、国家銀行を再建した。20人未満を雇う工場は非国有化され、前所有者などに戻すことができた。NEPは食物分配の効率を改善し、特に農民たちを潤した。


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