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蘆花恒春園

 徳富蘆花(徳富健次郎 1868明治元年-1927昭和2年)の旧宅である。蘆花が敬慕するトルストイ訪問を行ったのは明治39年(1906年)のこと。この時、トルストイに農業生活をさとされ、翌明治40年(1907年)には千歳村粕谷(現地)に移り住んだ。その後、書屋を増築しているが(明治42年1909年古家屋を移築して梅花書院、明治44年1911年には秋水書院をさらに新設)、この地で彼はその後の20年を過ごすことになった。明治44年1911年の大逆事件の死刑判決に際しては、助命の嘆願をしている。処刑の報道を聞き、増築した奥書院を「秋水書院」と命名している(1911年4月10日)。蘆花はこの地に隠遁だけしていたわけではなく、1913年大正2年に満州・朝鮮を旅行しているほか、この地で折に触れて作品を創作。1919年大正8年から1920年大正9年にかけては、この地を飛び出して1年余りの時間をかけて世界旅行に赴いている。こうした世界旅行を実現した人は、当時は少ないはずである。しかしその後の時間は短かった。世界旅行から帰国してから7年の昭和2年1927年、蘆花は療養先の伊香保でなくなっている(享年60歳)。
 恒春園には、蘆花が住んでいた家屋、2つの書院の建物などが残されているほか、記念館が開設されて、様々な資料が展示されている。
 なお、徳富蘇峰(徳富猪一郎 1863文久3年-1957昭和32年)は蘆花の実兄である。蘆花は蘇峰に協力しかしときに対立。1913年大正2年からは臨終の1927年昭和2年に臨終の床で再会して和解するまで14年間絶交を続けた。
 アクセス 京王線八幡山下車。環八通りに沿い南下10分。
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