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Paul Sweezy 1910-2004

cited from spartcus educational.com 
by Jim Simkin Sep .1997 updated Jan.2020

   Paul SweezyはFirst National Bank of New Yorkの副社長vice presidentの息子として1910年4月10日に生まれた。彼はPhillip Exeter Academyとハーバード大学で教育を受け、ハーバードでは雑誌Crimsonを編集した。1932年に彼はLondon School of Economicsに行き、そこでハロルド・ラスキに出会った。
 Sweezyは合衆国にマルクス主義者として戻り、『資本主義発展の理論』の著述を開始した。この著作は最終的には1942年に出版された。彼は1948年に政治的に活動的になり、Henry Wallaceと進歩党の支持者になった。
 1949年にSweezyとLeo Hubermanは急進的な雑誌The Monthly Reviewを創刊した。その寄稿者にはAlbert Einsein, W.E.B.Dubois, Jean Paul Sartre, Fidel Castro, Che Guevara, Malcom X, G.D.H.Cole, E.P.Thompson そしてRalph Milibandが含まれる。
 SweezyはMcCarthismの被害者の一人である。1954年、かれはNew Hampshire大学で彼が行った講義録の提出を拒否したあと、禁固刑の判決を受けた。
 1960年にSweezyとHubermanはキューバに旅行し、カストロの教育改革、産業国有化そして土地改革を研究した。(そして)The Monthly Reviewの特別号(Cuba:Anatomy of  A Revolution キューバ:革命の解剖) で、キューバは社会主義革命を進めていると論じた。
 SweezyとPaul Baranとは『独占資本』(1965)の共著者である。1970年代にSweezyは、環境問題と未発展の世界(the undeveloped world 第三世界)にますます関心を寄せるようになった。1971年に彼は「資本主義の主要矛盾はその発展した部分にはなく、発展した部分と未発展の部分との間にある」と書いている。
 Paul Sweezyは2004年2月27日に亡くなった。

    なおSweezyについては以下の「西洋経済古書収集」が詳しく述べている。


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