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物価闖關失敗の責任問題と趙紫陽

 物価闖關失敗の責任問題と趙紫陽           福光 寛
 ここで物価闖關は1988年春中国で取られた価格自由化措置のこと。失敗とは猛烈な物価高騰を招いたことを指す。この問題については以下の別稿ですでに述べている。なお上の写真は1988年4月山東威海でのスナップ。『趙紫陽軟禁中的談話』開放出版社2007年p.22より転載。

 ここで問題にしたいのは、この「失敗」の責任を当時総書記だった趙紫陽に求める意見があり、経済学者のなかでは吳敬璉が繰り返し執拗に、これに言及していることである。
 ところでこの政策の失敗については、もちろん総書記である趙紫陽も責任はあるが、鄧小平の強い意志で進められたことは経緯からは歴然としている。その意味では、趙紫陽だけに責任を押し付けるのはかなり作為的といえる。当時、政権内部にいた、李鵬にも応分の責任がある。
 ところで吳敬璉がなぜこの問題で趙紫陽を執拗に非難するのか、その意図がわからなかったが、盧躍剛《趙紫陽傳下卷》INK印刻文学2019年pp.1139-1140に関連する記述があるので紹介したい。

 それによると、吳敬璉は六四事件の記憶が新しい中、薛暮橋,劉國光,周小川と数回討論しその結果を、1989年第九期中国社会科学院『要報』に7月12日に完成した原稿を投稿したという。盧躍剛は、『要報』が中国共産党高級幹部に参考閲覧されることと、李鵬による政策「建議」と、趙紫陽非難の要報記事の内容(趙紫陽の誤まった指導により通貨膨張、分配の不公平、腐敗現象などが引き起こされ社会的不満が生じ、動乱がおきる原因となった)が一致していることに注目している。
 共産党幹部が閲覧するものの中で、この『要報』にどこまでの重要性があるのかは、正直分からないがこの投稿により、吳敬璉が政治的に李鵬サイドにたち、趙紫陽非難の論拠の一つを李鵬に提供し保身を図ったことは明らかだろう。このタイミングでこうした内容を発表したのは、積年の分析の結果だったかもしれないが、同時に非常に政治的であることも間違いないように思える。また4人の学者はいずれも政権内部にいて、この問題で意見を具申する機会は多々あったはずで、一方的に政府の政策を非難できないはずだとも思う。
(こうした吳敬璉の行動は、彼が長年にわたり市場化推進の議論をしていても人間として、吳敬璉という人を信じられない理由でもある。)



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