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エリツィンの経済改革 1991-97

Boris Yelstin in New World Encyclopedia から抜粋

 ソビエト連邦解体のその日々に、エリツィンは、ロシアの経済体制を再建する目的でー世界最大の計画経済を市場志向の資本主義的なものに転換するー急進的な経済改革のプログラムを開始することを決定した。この転換の初期、エリツィンの顧問たちは、スピードと配列の問題をめぐり、急速な接近を好むものと、漸次的でゆっくりした接近を好む者との間で論争した。
急進改革
 1991年遅くエリツィンは、1980年代後半に転換経済に対する標準的政策のレシピ(recipe 調理法)を開発した、西欧の経済学者や機関-IMFや世界銀行そして米国財務省のようなーのアドバイスに戻った。この政策レシピは、価格を自由化し国家予算を安定化させることを意図した手段の組み合わせであり「ワシントンコンセンサス」あるいは「ショック療法」として知られるようになった。この手段はすでにポーランドに試みられていた。そしてショック療法の支持者たちは同じことがロシアでもできるだろうと考えた。ロシアの政策担当者たちは、これが取るべき道化懐疑的だったが、この接近法は、急進的な改革に傾いていた、35歳のロシアのエコノミスト、Yegor Gaidarの好みだった。
 1992年1月、Gaidarはエリツィンにロシアにショック療法プログラム導入を納得させた。1月2日、エリツィンは自ら首相のように行動し、外国貿易、価格、通貨の自由化を命じた。同時にエリツィンは、価格統制のためのとても厳しい体制である「マクロ経済安定化」政策をとった。エリツィンのプログラムのもとで、貨幣と信用を引き締めるため、利子率は極めて高い水準に引き上げられた。国の歳入と歳出を均衡させるため、エリツィンは、新たな税金を重く引き上げ、工業や建設への国家の補助金を鋭く削減し、社会保障支出を深く切り込んだ。
 1992年早々ロシア中で物価が高騰した。そして深い信用収縮が多くの企業を閉鎖に追い込み、長引く不況をもたらした。多くの国営企業が秩序を失うか金融困難で閉鎖された。多くの人々の生活水準が破壊された。1990年代のロシアが被った経済不況は、アメリカとドイツが60年前の大不況で経験したものより厳しかった。ロシアの批評家に加え、Marshall Goldmanのような西欧の経済学者ですら、1990年代のロシアの破壊的経済成果について、エリツィンの西欧に支援された経済プログラムを非難した。政治家たちは直ぐにプログラムから距離を取り始めた。1992年2月ロシアの副大統領のAleander RutskoyはYeltsinのプログラムを経済ジェノサイド(民族皆殺し)だと非難した。1993年に改革の方向性をめぐる争いは、エリツィンを中心とする一方の側と、他方、ロシア議会における急進改革反対派との間で高まった。
(中略)
私有化と新興財閥(オリガルヒoligarchs)の勃興
 ソビエト連邦崩壊のあと、エリツィンは、かつての国有企業の株の所有権を広める私有化を、彼の経済改革への政治的支持をできるだけ広く生み出すために促進した。西欧では、私有化は、ソビエト時代の計画経済の素早く分解して、自由市場改革のための道を作ることを保証するもので、東欧の共産主義からの転換の鍵とみなされていた。1990年代早くエリツィンの経済政策の担当deputyであるAnatoly Chubaisが、ロシアの私有化の指導的推進者として現れた。
 1992年遅くエリツィンは無料引換券vouchers(保証書)を大衆に私有化を進める飛躍になるものとして始めた。プログラムに従い全ロシア人に対して、それぞれ名目で約1万ルーブルの価値がある引換券が発行された。全市民が当初等しい額面価値の引換券を受け取ったが、数ケ月のうちにそのほとんどはそれらを現金で買う用意のある仲介者の手中に収まった。1995年にエリツィンは、ロシアの増加する対外負債に資金繰りをつけることで、ロシアのビジネスエリートから1996年の大統領選挙での支持を得ようとした。(そこで)ロシアの大統領(エリツィン)は、銀行貸付と交換にロシアの最も価値のある大企業の株を提供する、私有化の新たな波を用意した。このプログラムは、私有化のスピードを速めると同時に、政府が機能するに必要としていた現金を確保する手段として促進された。
 しかしこの取引は国家の重要な資産を、金融、エネルギー、テレコム、そしてメデイアの小グループの大君-1990年代にロシアの新興財閥として知られるようになるものに、実質的に献呈giveawayすることになった。1996年までに主要企業の相当の所有株はとても低い価格で新興財閥により取得されていた。複数の銀行と全国メデイアの支配権をもつBoris BerezovskyはYeltsinのもっとも有名な後援者になった。Berezovskyとともに、Mikhail Khodorkovsky, Roman Abarmovich, Vladimir Potanin Vladimir Bogdanov, Rem Viakhirev, Vagit Alekperov, Victor Chernomyrdin, Victor Vekselbergそして Mihkhail Fridmanがロシアの強力かつ著名な新興財閥として現れた。


溝端佐登史(京都大学) ロシアにおける社会・経済構造の変化と経済政策の選択(1996)

溝端佐登史 移行経済と世界経済ーロシア・中東欧の市場移行政策と移行度について(1998)

山村理人(北海道大学スラブ研究センター) ロシアにおける国有企業改革の考察ー中国との比較 (刊行年調査中)

池本修一 中欧における体制転換プロセスの進捗度 経済科学研究所(日本大学)紀要32号2002年, 3-17

吉井昌彦・月村太郎(神戸大学) 中・東欧諸国における市場経済化 国際協力事業団2003/06

山越由紀子 ロシアの社会福祉 体制転換期の高齢者福祉(学部ゼミ論2004) 

吉川顕麿 市場経済移行と今日のロシア資本主義 金沢星稜大学2018/03


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