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劉少奇が批判された理由 2012

(劉少奇の主張とされた黒六論。黄峥『劉少奇冤案始末』九州出版社2012年1月より)

 いわゆる「階級闘争消灯(熄灭)論」。劉少奇は「階級闘争消灯」といった話を話したことは全くなく、「論」じたこともない。それどころか、現在から見れば、当時劉少奇は階級闘争について比較的多く語っている。しかし彼は階級闘争を過度に強調せず、思想上、「階級闘争こそが最重要(以階級斗爭為綱)」には同意しなかった。1956年9月に挙行された中共第八次全国代表大会決議は指摘している。国内の主要矛盾は、すでに無産階級と資産階級の矛盾ではなく、人民の経済文化の迅速な発展の需要に対して、当面の経済文化が人民の需要を満足させられない状況の間の矛盾であると。劉少奇は八大で行った政治報告の中で次のように述べた。官僚買辦資産階級はすでに中国大陸上から消滅し、ごく少数の地区を除けば封建地主階級もすでに消滅し、富農階級もまた消滅しつつあり、民族資産階級分子はまさに搾取者から労働者に転変する過程にあり、「生産資料私有制を社会主義公有制に改変するこの極めて複雑で困難な歴史任務を、現在我が国ではすでに基本は完成した。我が国では社会主義と資本主義で誰が誰に勝つかという問題は、すでに解決している。」「現在、革命の暴風雨の時期はすでに過ぎ去り、新たな生産関係はすでに建設(建立)され始めており、闘争の任務は社会生産力の順調な(順利)発展を保護することに変わっている。」(《劉少奇選集》下巻第203, 219, 253ページ)彼は1957年のある講話の中でまた述べている。少数の反革命分子に対して警戒(警惕)を高めるべきであるし、農村地主階級の残余に対していいかげん(麻痹大意)であってはならない。しかし彼らは階級としてはすでに消滅あるいは基本消滅している。社会主義改造を通じて、資産階級も階級としては基本消滅した。だから国内主要階級闘争は基本収束したと、あるいは基本解決されたのだと、現在は人民内部の矛盾が主要矛盾になったといえる。(《劉少奇選集》下巻第296ページ参照)劉少奇のこのような論述は中共八大路線を具体的に述べたもの(具體闡述)であり客観的現実に符合した正確な観点であった。しかしこのような論述は「文化大革命」中流行した左のものとは合致せず、「階級闘争消灯論」の帽子を被せられたのである。黄峥 前掲書pp.56-57

 いわゆる「党内和平論」。党内闘争の問題で、中国共産党の歴史には、成功の経験とともに、悲惨で痛ましい(慘痛)教訓もある。王明ら「左」傾機会主義者は党内で「残酷な闘争、無慈悲な攻撃」を実行し、かつて党に巨大な損失を負わせた。劉少奇は党内闘争の歴史経験を総括したうえで、「党を論じる」「党内闘争を論じる」「共産党員の修養を論じる」などの著作を書き、党内闘争を正確に進める問題を全面的に論述し、党の建設に重要な貢献を行った。劉少奇は党内の誤った思想に対して厳格な闘争を必ず進めねばならないとすると同時に、党内の団結の重要性を強調し、「機械的に行き過ぎた党内闘争」を進めたことを批判している。
 彼は『共産党員の修養を論じる』の中で述べている。「党内の「左」傾機会主義者は党内の闘争を待ち構えている。彼らの誤りは極めて明白だ。これらのおよそ錯乱した(瘋癲的)人に従うと、いかなる党内和平、たとえ原則路線が完全に一致した党内和平でも、得ることはできない。彼らは党内に原則分岐が全くない時にも頑なに闘争対象を「捜索」し、誰か同志を「機会主義者」に仕立てて、党内闘争の射撃対象の「草人形(草人)」にする。(《劉少奇選集》上卷第162-163ページ)
 『党内闘争を論じる』この著作でもまたこの種の党内闘争の誤った偏向が指摘され批判されている。「上記したことは、中国党内闘争の一種の偏向であるが、中国党内でとくに重大な(厳重的)一種の偏向である(外国党内にもまたあるけれども)。すなわち党内闘争が行き過ぎ、制限なく進み、一方の極端にまで走るもので、党内闘争中の「左」傾機会主義であり、党の組織上の「左」傾機会主義である(それは党内民主の否定であり、原則一致による党内和平の否定であり、労働組合やその他群衆組織の相対的独立性の否定であり、党員の個性およびその自動性、創造性などの否定である)。
  党の歴史の上で「左」傾路線で受けた損失(虧)はあまりに大きい。それゆえに劉少奇のこうした論述は貴重な卓見(真知灼見)である。黄峥 前掲書pp.59-60

#劉少奇 #黄峥 #階級闘争 #党内和平論 #党内闘争

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