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新税制をめぐる議論 1953

薄一波 若干重大決策與事件回顧;于光遠 新民主主義社會論的歷史命運;公私一律平等納税;新民主主義社会

1953年の新税制をめぐる議論は要注意である。1952年12月31日に人民日報を通じて新税制が発表されると、各省市から書簡が寄せられたほか、「公私一律平等納税」という新税制のスローガンが資産階級の立場に立つものとの毛沢東による批判を引き起こした。確かに、合作社に認めていた減税を取り消すというこの税制は、社会主義社会を目指す政権として少し変である。背景には、優遇税制が税回避を招いていた点もあった。

問題は社会主義化に伴う徴税額の減少である。ただ詳しい数値はしめされないし、記述は新税制の執行停止で終わっているので、新税制が廃案後、どのように収支のバランスが再構築されたかなど不明な点が多い。この問題では薄一波 若干重大決策與事件回顧 pp.163-179の記述がまず注目される。というのもこの件は財政部長だった薄一波が批判された件だからである。

発端は1950年初めに政務院が制定した全国税務実施要則にある。p.163 国営および合作社の経済が脆弱であることを根拠に、国営工商業内部の物資の調達には非課税。私営企業への加工の委託に際して、私営企業に対して徴税を行っていた。他方,新設の商業(供銷)合作社は所得税の1年免税があり、2%の営業税が課せられたが8掛け優遇措置があった。新設の手工業合作社には営業税・所得税とも3年の免税措置があった。p.163

1952年後半に入ると国営商業と合作社の比重が大きくなった。私営企業は国営工商業内部の調達で納税を回避できるのをみて、直接納品したり代理で販売することで営業税を免れようとした。経営方式、流通方式の変化から、営業税は減少した。また三反、五反運動後、資本家は苦境にあった。税収の減少は国家の根本を揺るがす大事という意識から、財政部では新税制が検討された。こうして、工商界や民主党派にも意見を求めたうえで、新税制案がまとまり12月31日に人民日報で税制改正が布告された。p.164

新税制は工業の生産、卸、小売りの各段階で営業税を課し、合作社への8掛け優遇は廃止とされた。一部の大量生産商品については最初に商品流通税を課してその後の課税を免除すること、税項目の統合簡素化、国営と私営との間の取扱いの差異を解消することも盛り込まれた。pp.164-165

新税制は各地から中央に対して大量の書簡電報を巻き起こした。税制執行上の問題のほか、物価上昇を招く懸念などがつたえられ、毛沢東自身が、自分はこの件の報告を受けていないし中央でもこれを討議していないと、不満を示した書簡を、鄧小平、陳雲、薄一波に1月15日に出した。このあと財政部では毛沢東への説明に尽くすが、毛沢東の怒りは収まらず、新税制は結局半年の施行で停止された。pp.165-167

この経緯からは、新税制が大きな改革であるにもかかわらず、毛沢東を含む党中央、地方や納税担当者などとの意見交換、了解を取らなかった不手際があったことは確かであろう。毛沢東の怒りを買った、「公私一律平等納税」というスローガンについては、税制改正後、流通課税についてのことを言ったのであり、所得税のことをいったわけではない、などと薄一波は弁明している。pp.166-167

中国の税制がこのあとどうなったかも興味はあるが、ここでは置いておく。ここではこの事件でのもう一つの注目点に議論を移す。スローガンが、七届二中全会決議に違反したと毛沢東が批判したとされる点だ(1953年2月10日)。p.166

この決議は1949年3月のもの。その時の毛沢東の演説をみると、確かに社会主義への移行を今後の中国が歩むべき道として話している(在中国共産党第七届中央委員会第二次全体会議上的報告(1949年3月5日)『毛沢東選集』第4巻 pp.1429-1439)。問題は1949年3月といえば、なお新中国が成立する前であり、新民主主義社会だということ。しかし毛沢東はかなりはっきりと社会主義化を宣言している。于光遠はこの演説には、新民主主義社会論(社会主義への移行の準備として資本主義を発展させるという考え方)から、資本主義を社会主義に向かわせるレーニンの過渡期理論に移る萌芽が表れているとしている(于光遠 新民主主義社會論的歷史命運 pp.93-100,esp.99-100)。

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