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Hirofumi Uzawa 1928-2014

宇沢弘文 By Goncalo L. Fonseca
Cited from History of Economic Thought  

 日本の数理経済学者で、選好理論と安定性理論に重要な貢献を行った新ワルラス主義理論家。宇沢はまた最適成長理論の開発者であり、それを、環境問題への仕事careerに応用した。
 日本の米子に生まれた宇沢弘文は東京大学で数学を学んだ。1951年に卒業した後、宇沢は特別研究生として東大にとどまった。そして間もなく、日本のマルクス主義者の影響により、経済学に引き込まれた。しかし間もなく宇沢は、アメリカの新ワルラス主義者により発展させられていた萌芽期の数理経済学に出会った。宇沢はKenneth Arrowの紹介で1956年research associateとしてスタンフォードに進み、1959年にはスタンフォードの学部スタッフになった。この時期に、宇沢は需要理論とワルラス主義一般均衡分析で主要な貢献を行った。宇沢は、周知の二部門成長モデルは、マルクス(資本論)第二巻再読が基礎になったとしている。
 宇沢は、シカゴ大学に加わる1964年までスタンフォードにとどまった。(シカゴで)彼は最適成長理論への主要貢献を生み出した。1年間、宇沢はCambridgeのChurchhill Collegeでfellowであった。そこで宇沢はVeblen熟読の成果として、Penrose effect(Edith Penroseにちなんだこの名称はKahnが示唆したものである)を生み出した。
 1968年に宇沢は、半ばベトナム戦争に抗議してアメリカを離れ、東京大学教授となり、(東大には)1989年の退職までとどまった。日本における公害の現実的諸問題が、宇沢に環境問題への関心をもたらした。そして彼は1970年早くにすでに「社会共通資本」の理論を展開し、それは後に気候変動のようなマクロ経済問題に応用された。宇沢は退職後も、環境問題について発言と著述を続けた。


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