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Isaac Deutscher 1907-1967

by Jim Simkin Sept.1997 (updated Jan.2020)
Spartacus Educational.com

    Isaac Deutscherはポーランドのクラカウに1907年に生まれた。彼はジャーナリストとして1926年にポーランド共産党に入党したが、Joseph Stalinに批判的だったので1932年に追放された。
 第二次大戦の勃発とともに彼は英国に移り、The Observer誌のために執筆を始めた。彼はまたThe Economist誌のヨーロッパにおける主たる通信員だった。
 Deutscherがソビエト共和国について書いた本には、Stalin(1949), Soviet Trade Unions(1950), Russia and Stalin(1953), Trotsky:The Prophet Armed(武装した預言者 1954), Heretics and Renegades(異端と背教者 1955), Trotsky:The Prophet Outcast(1963), Ironies of History, Essays on Cotemporary Communism(1966)がある。Issac Deutscherは1967年にローマで亡くなった。
 彼の死後刊行された本には、Lenin's Childhood(1970), The Unfinished Revolution:Russia 1917-1967(1974), Marxism in Our Time(1974), Soviet Trade Unions(1984), The Great Purges(1984), Marxism, Wars and Revolutions:Essays from Decades(1984)がある。

Issac Deutscher, Stalin(1949)から引用
 StalinはAndrei Zhdanovをレニングラードの知事governorとしてKirovの後継に任命した。Zhdanovは若くて有能で情け容赦のない男で、逸脱者(deviationists)からなる共産党青年団Komsomolを追放した(purged)ことがあり、労働組合での闘争で、トロッキーへの傲慢な攻撃でずば抜けていた。 スターリンはレニングラードの敵意の巣窟(hornet nest  スズメバチの巣)を破壊する上で彼を信頼できた。1935年の春、疑われた数万人のボリシェヴィキとその家族はレニングラードから北シベリアへ追放された(deported)。
Issac Deutscher, Stalin(1949)から引用
    帝政主義者の時代において、政治的犯罪者たちはある特権を享受し、自己教育を許され、政治的プロパガンダに従事することさえできた。批判的なメモ、パンフレットや雑誌は半ば自由に刑務所の間を流通し、時には海外から密輸された。自身元受刑者であるスターリンは、刑務所と追放(exile)の地が革命の大学であることをよく知っていた。最近の出来事は彼に危険を冒さないことを教えた。今後、すべての政治的な議論と活動は、刑務所においても追放の地においても厳しく禁止される(suppressed)。反対派の人々は、窮乏(privation)と激しい労働により、哀れで動物の様な存在に落とされ、通常の試行過程や見解の形成はできなくされねばならなかった。



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