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薛暮橋 生平

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薛暮桥(シュエ・ムーチアオ)(1904年10月25日―2005年7月22日) 江苏无锡(チアンス・ウーシ)の人。元の名は薛雨林(シュエ・ユーリン)、経済学者、中国科学院院士、元国家統計局局長。2005年第一回経済学傑出貢献賞受賞(獲得)。

経歴(生平)

 1927年中国共産党入党。沪杭甬铁总工会常任委員、組織部長を務めた。1931年より南京民衆教育館において「民衆週報」を編集、中国農村経済研究会理事、「中国農村」月刊主編務めた。1935年罗琼(ルオ・チオング)と上海で結婚。9月に新知書店の企画立ち上げに参加。秋冬の変に際しては、党の八一宣言(1935年8月1日に中国共産党などの名前で出された対日敵対宣言を指す 訳注)、十二月決戦の精神により、「中国農村」に発表した文章で、全国の農村の運動家に、団結して国難に立ち向かうことを呼びかけた。12月に上海文化界救国会を発起設立。1938年10月のあと、新四軍教導総隊、抗日軍政大学華中総分校訓練部部長、山東省参議会参議員、山東省人民政府秘書長兼実業庁庁長、1947年のあと人民政府財経事務室(办事处)副主任、中央財経部秘書長を務めた。

 1949年の後、政務院財経委員会秘書長、私営企業局局長、中規委委員。1952年後、国家計画委員会副主任、国家統計局局長、国家経済委員会副主任、国家物価委員会主任。1975年後、国家計画委員会顧問兼経済研究所長。国家経済体制改革委員会顧問、国務院経済研究センター総幹事、国務院発展研究センター名誉主任、中国計画学会会長、中国統計学会会長、名誉会長、中国物価学会名誉会長、中国科学院学部委員。第一次、二次、三次全国人大代表、六次全国人代財政経済委員会委員、全国人民政治協商会議第一次、五次全国委員会委員、第六次全国人民代表大会常務委員会委員。

 1979年に発表された、中華人民共和国の歴史経験を総括した著作「中国社会主義経済問題研究」は中国大陸経済体制と正確な発展方針の啓もう教材となった。当時の都市に存在した失業と半失業に対しては、社会主義労働力を労働者の自己所有に戻す(仍归)視点(個人事業を認めることを指す 訳注)を提出した。1980年6月には流通制度の改革からの着手を率先提出して、分配制度の改革よりはさらに重要だとした。1980年代末には各地区発展戦略、全国的戦略の基礎を提出。沿海から海外に向かう方の地区の発展戦略は、内地の発展戦略と組み合わせて考えるべきとした。1991年には利率政策を少しずつ改めて用いるべきことを指摘。経済方法を用いることをもっと急いでまなぶべきで、財政運用、税収、銀行貸し付けなど、経済のてこによるマクロ調整を強化すること、(指令など直接的でない 訳注)間接的な調整システムを建設、改善をして完全なものすることを急ぐべきだと主張した。

2005年3月に第一回中国経済学傑出貢献賞を受賞。7月22日17時12分北京で亡くなる。享年101歳。

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