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破産 bankruptcy


 破産について語られるべきことは何か。破産法制の歴史をみると、最初は債権者保護が課題だったことが分かる。たとえば、借入にあたって担保としていた資産の内容に虚偽がある、取り立てようとするとその資産を移動してしまう。こうした債務者の「不正」に対して、債権者をいかに守るか。そしてその次が、清算をいかに秩序を持って進めるかという清算型破産法制の問題である。行き詰まった企業の残された資産を、債権者がルールなく我さきに確保しようとすることが起こりうる。破産の申し立てがあると、債権回収を一旦停止させて、残った資産を裁判所などの監督のもとに債権者平等の原則にしたがって取得するルールがここで確立する。
 さらにその次に登場するのが、再建型破産法制の問題である。債権者にとってもこれは一つの選択肢である。ただ明らかなのは、財務的に行き詰まったことが明らかになると、企業価値は急速に毀損する。もし再建に入るのであれば、早めの対応が必要だとされる。この再建型では再建人が債権者との合意により再建計画を策定、債務額・債務条件などを削減・緩和することで、再建を目指すことになる。
 この再建については二つの議論に注目が必要。一つは可能にするさまざまなテクニック、たとえばDES(Debt Equity Swap)の議論である。
 もう一つは、破産の申し立てが乱用されているのでは、という問題である。これは個人破産について議論されている。そこで個人に対する過剰融資predatary lendingに問題があるとの議論や、企業が戦略的デフォルトstrategic defaultと呼ばれる戦略を取るのが、許される以上、個人も同じ戦略が許されてよいとの考え方もある。

  企業が破産するなど行き詰まった場合に、一般的には国はそれを見守るだけのはずであるが、実際には、国が公的資金を出して、再建を図ることがある。この場合、ほとんどの企業については、放置しておいて、特定の企業だけ救済する(一時的に国有化する)のは、なぜかが問題になる。
 金融機関のうち銀行については、免許制をとって参入を規制しているうえに、国が「預金保険制度」を設けているという問題もある。預金者の預金という債権が、特別に保護されているともいえる。背景にあるのは、銀行は支払い決済という公的なインフラであるという理屈である。このような理屈を背景に、銀行に対しては、自己資本規制をはじめとするバランスシート規制なども行われてきた。
 このような、倒産法制の例外のように見える、一部巨大企業、あるいは金融機関に対する扱いをどう考えるか(資本主義の原則と全く整合性がとれないようにみえること)は、いまも問題として残されている。


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