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中国思想・短編小説・歌曲選

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https://blog.goo.ne.jp/fu12345/e/7cc5e1ad373775c11668b88a748c64a6 中国的な考え方を知る手がかりを探しています。
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#小説

魯迅《社戯》1922/10

 社戲は農村で昔、お祭りのときに演じられた出し物のこと。ここではその思い出を述べた魯迅(1881-1936)の1922年10月の小説のこと。この小説を魯迅は自分は2回「中国戯」を見たことがあると話を始める。最初は民国元年(1912年)北京に来て間もない時。二度目は湖北省で水災義援金として切符を買ったとき(手元の竹内好訳は、「水災」をなぜか「火災」としている。岩波文庫1981年改訳版p.188)。いずれも席にゆっくり座って鑑賞するといったことにならなかった、顛末が描かれている。

楊少衡「親自遺忘」『湖南文学』2016年第10期

著者の楊少衡は1953年福建省漳州生まれ。西北大学中文系卒。この小説は政務にあたる指導幹部が、ある失敗をしたときの感慨を描いている。「親自遺忘(自ら忘れる)」。この小説は、いろいろな受け止め方ができる。幹部が、支援の対象である若い学生を傷つけるつもりはなく傷つけてしまった(読んでいてこの幹部を批判する気持ちに単純になれないのは、意図せずに他人を傷つけることは実はよくあることだからだ)。どうすればよかったのか。この小説は、指導幹部の慢心を批判しているとも読めるし、指導幹部への政

叶兆言「失踪的女大学生」『長江文芸』2015年第1期

 この短編小説は何回か読み、しかし今までここでの紹介には至らなかったもの。それは後述するように、この小説の作品としての完成度に強い疑問があるからだ。今回、おおまかに内容について述べ批評する形で紹介する(写真は、「浜離宮庭園」から隅田川越しに「勝どき」方面を見たもの)。  二つの部分から構成されていて、標題の女子大学生の失踪の話は後半。前半は一見それと無関係に思える筆者叶兆言(1957-)の祖母や父方叔母など親族女性が受けた大学教育について語ったもの。後半が女子学生失踪の話。こ

孟小書「逃不出的幻世」『十月』2014年第3期

孟小書「逃不出的幻世」。「逃げ出せない幻(まぼろし)の世界」。この小説は以下のような「現代的」な内容。また文章としても読みやすい。 主人公は西安の学校でアニメ(動画)デザインを学んだ22歳の女の子。パソコンで毎日、映画を見ていて寝不足気味。おもちゃのデザインの仕事をしたいと思っているが、今は、北京の自宅で母親と同居中。父親は離婚して別居中。母親はなにをするでもなく一日中連続テレビドラマを見ている。 明け方まで映像をみていると、たまたま蘇州のアニメ会社から面接試験の案内があ