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中国思想・短編小説・歌曲選

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https://blog.goo.ne.jp/fu12345/e/7cc5e1ad373775c11668b88a748c64a6 中国的な考え方を知る手がかりを探しています。
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2020年9月の記事一覧

魯迅《社戯》1922/10

 社戲は農村で昔、お祭りのときに演じられた出し物のこと。ここではその思い出を述べた魯迅(1881-1936)の1922年10月の小説のこと。この小説を魯迅は自分は2回「中国戯」を見たことがあると話を始める。最初は民国元年(1912年)北京に来て間もない時。二度目は湖北省で水災義援金として切符を買ったとき(手元の竹内好訳は、「水災」をなぜか「火災」としている。岩波文庫1981年改訳版p.188)。いずれも席にゆっくり座って鑑賞するといったことにならなかった、顛末が描かれている。

易姓革命をめぐる孔子と孟子

 中国の歴史を紐解いて最初に出てくるお話しの一つが武王伐紂です。これは殷という国の最後の王様である紂がとても、残酷乱暴な王様であった。臣下や兄弟が諫めてもそれをうけいれなかった。異論を唱える者を捕まえたり殺したりした。この王様を殷の属国であった西伯侯姬發(つまり紂の臣下)が、殷内部の呼応勢力とも連携して、ついに紂を滅ぼし(周王朝を樹立し武王となった)というお話しを指しています(写真は増上寺山門)。  孔子と孟子ではこのお話しの扱いが少し違います。  孔子は武王伐紂を直接論評せ

三余の教え

 三国時代(魏呉蜀の鼎立の時代)に董遇(2世紀後半から3世紀前半)という人がいました。時間を見つけては勉強して大学者になったとされています。いろいろな人が彼をしたって教えを乞いますが、彼はまず百回読むことだと言って、教えません。それを聞いた人は董遇に、その通りだと思いますが、しかしどこにそんな時間がありますかと聞くと、董遇は笑って答えました。三余の時間があるのにそれに気が付かないだけです。それは、冬の農作業の無い時、夜働く必要がない時、そして雨で出られない時です。聞いた人は