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中国思想・短編小説・歌曲選

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https://blog.goo.ne.jp/fu12345/e/7cc5e1ad373775c11668b88a748c64a6 中国的な考え方を知る手がかりを探しています。
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2019年10月の記事一覧

孔子と孟子の違い 浩然の気

                             福光 寛  孔子の論語の世界と、孟子ではかなり人生観が違うが、一つの原因は言葉を述べたときの孔子、孟子それぞれの人生の年代や、そのとき社会から受けていた処遇など環境の違いにあるのではないか。孔子の言葉はおそらく孔子が晩年のもの。60代から70代だろうか。その言葉からは孔子の不遇が伺われ、晩年に至り、処世について、ポストをめぐる争いから少し距離を置いた、やや達観した心境が伺える。(写真は孟子像 立命館大学朱雀キャンパスに

知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は恐れない(論語子罕篇第九)

                             福光 寛  『中庸』の以下のフレーズは学問への姿勢を言っているように読める(写真は湯島聖堂にある孔子像 2020年2月24日)。  先生(孔子)はいう。学ぶことが好きなものは知に近い、努力して学ぶものは仁に近い、(知らないことを)恥と知るものは勇気がある。この3点を知るものは、努力して自身の徳を高めることを知っている。徳を高めることを知った人は、すなわち人を治めることを知る。人を治めることを知った人は、天下国家を治める

人は学ばなければ道を知らない 人不學,不知道(礼記学記第十八)

 少し前のことだが、道徳に属することは、小さな子供のときに教えるしかないのだといわれたことがある。人を殺してはいけない、人のものを盗んではいけない、などの道徳。『礼記(らいき)学記第十八』にまさにそれを書いた文章がある(写真は湯島聖堂)。  「玉は磨かなければ器にならない。人は学ばなければ、道を知らない」(玉不琢,不成器;人不學,不知道。) ここで道というのは、もっと高い次元での道徳をいっているのかもしれない。しかし人を殺してはいけない、といった基礎的な道徳律を含んで

陳世旭「歓笑夏侯」『北京文学』2016年第5期

 陳世旭(チェン・スーシュー 1948- 江西省南昌の人。初等中学をでたあと農村で働き、そこから文才を伸ばした。1970年代末に文学活動で認められるようになり、1980年代中ばに武漢大学で学ぶ機会を得ている。こうした経歴からすると、本作は完全な創作である。)の2016年の小説。歓笑は楽しい笑いをするという意味で、夏侯(シアホウ)は人名である。この話には、もう一人大事な登場人物がいて危老(ウェイラオ)という。この小説は『北京文学』2016年第5期に発表後、《2016中國年度短篇

田代琳「私了」『作家』2016年第2期

東西(筆名 原名は田代琳 ティエン・タイリン  1966-)の2016年の短編小説である。田代琳は広西省の山村で生まれた。一旦、地元の師範学校をでて中学の教師となり、県の宣伝部などに勤務している。1990年代半ばから職業作家として認められるようになった。『作家』2016年第2期に発表後、《2016中國年度短編小説》灕江出版社2017年,pp.56-65に収められた。 小説は、銀行の通帳(存折)が机の上に置かれるところから始まる。彼(李三層)はどこかから帰ったと

責任を果たして満足する 先義後利 孟子

 「先義後利」は有名な言葉で、商道徳を説いた言葉のようにも日本では理解されている(写真は湯島聖堂仰高門 2022年4月23日)。  孟子の梁恵(リアンホイ)王上が出典とされているが、出典だという意味は「先義後利」を孟子がここで教えとして説いたという意味であって、「先義後利」という言葉が梁恵王上に出ているわけではない。  孟子と会った梁恵王は、あなたはわが国にどのような利をもたらすのかと質問する。そこで孟子は、なぜ最初に利をいうのですか。義をあとにして利を先にいうのは、国を危う