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中国経済学史

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#孫冶方

劉国光「私の回顧と展望」『中国社会科学網』2017年4月12日

 以下の文章は《我的一些回顧與展望-訪著名經濟學者劉國光研究員》載《中國社會科學網》2017年4月12日(www.cssn.cn)の冒頭3分の1を訳出したものである。劉は1923年生まれ。西南連合大学経済系を1949年卒業。その後、清華の研究院に進んだとネット上の資料には出ている。しかし以下の本人の弁によれば大学卒業後、南京の中央研究院社会研究所にただちに入職したことになる。また同じくネット上ではソ連には1951-55年まで留学、副博士号を得たとある。 <中国社会科学法報(

張五常 中国的経済制度 2009

この本は英語のあと中国語がくる。それで中国語の部分から読むといろいろ疑問が残った。で英語で見ると、主張は明確で疑問も残らない。ということは英語版を最初から読んだ方が良かったかもしれない。内容は彼、張五常がどのように、中国の改革にかかわってきたかを語ったもの。ところどころ自慢話に見えるところもあるが、それだけ天才肌で自信、自負の高いひとなのだろう。  第一節で提起される問題は、腐敗、言論統制など、極めて多くの問題を抱えながらも中国が急速に発展したことは事実、それをいかに

吳敬璉 経済学者と中国改革 2004

 以下は吳敬璉《經濟學家,經濟學與中國改革》載《經濟研究》2004年第2期,8-16の前半3分の1を訳出したものである。吳敬璉(1930-)は高齢ながら、改革を進める立場で最近も発言する経済学者であるが、その評価を改革派とすべきか戸惑うところがある。たとえばだが、趙紫陽と李鵬との対立において、李鵬にすり寄ったとされる点。証券取引所について、これを賭博に例える議論をしたとされる点(株価をどう捉えるかの問題も確かにあるが、国営企業改革との関係、企業の資金調達との関係などの論点が落

衛興華《社會主義經濟學》2004

陳東琪主編《1900-2000中國經濟學史綱》中國青年出版社, 2004より第1章社会主義経済学pp.1-22 を抄訳。この章の分担執筆者は中国人民大学の衛興華(1925-2019)である。(写真は成城大学1号館中庭 2019年6月21日) p.1 第一節 社会主義経済学の萌芽時期    一、社会主義経済学の最初の探索  20世紀に入るところで、マルクス主義が中国に伝播し世界で最初の社会主義国家ソ連が建設され、社会主義生産関係を研究対象とする社会主義経済学が生み出され

林毅夫 胡書東 中国経済学百年回顧 2001

 この論文は手元にあって実際、日頃参照している論文なのだが、いろいろな問題を感じる論文でもある。まず書誌事項は以下の通り。 林毅夫 胡書東〈 中国経済学百年回顧〉《経済学》第1巻第1期2001年10月pp.3-18  この論文の最大の問題は中国経済学の百年を論じるとしながら、戦後の四十年についてはかなり粗略に語っていることだろう。  簡単に内容をみるとまず、アダム・スミスの『国富論』が1901年に嚴復により『原富』として出版されたことをもって、中国に現代経済学が伝入したのはこ

孫冶方 真理は時に少数の手に 1979

 以下は孫冶方《經濟學界對馬寅初同志的一場錯誤圍攻及其教訓》載《經濟研究》1979年第10期59-66の第三節「真理は時に少数者の手に(真理有時在少數人手裏)」その全訳である(op.cit., 63-64)。馬寅初の人口理論については、人口縮小が始まった現時点で評価が変わってくる可能性があるが、ここで注目したいのは、1950年代末の馬寅初に対する苛烈な批判、そして孫冶方のこうした批判への再批判である(写真は順天堂大学病院7号館エントランス 2021年6月25日)。 ・・・・・

経済学三巨頭の比較 張曙光

経済学三巨頭の比較                             張曙光 張曙光《中國經濟學風雲史》八方文化創作室,2018より p.1022 マルクス経済学において、孫冶方(スン・イエファン 1915-1974),薛暮橋(シュエ・ムーチアオ 1904-2005),于光遠(ユー・グアンユアン 1915-2013)は三巨頭であり、改革開放前の30年間、彼ら3人は当時の国内経済学の理論研究を主導した。改革開放以後、孫冶方は早く亡くなったが、薛暮橋と于光遠はなお続けて前

董輔礽(1952-57年ソ連留学):人生軌跡及其轉向 張曙光

董輔礽:《有偽學者的人生軌跡及其轉向》載《中國經濟學風雲史》八方文化創作室,2018,p.1046-1094, esp.1046-1048(董輔礽(トン・フーレン 1927-2004)は最初、武漢大学で西欧の経済学に基礎を学び、それから20代半ばでソ連に留学した。ソ連留学時に孫冶方の知己を得て、帰国後、間もなく経済研究所に招かれている。国民党支配地区で正規の教育を受けたためにまず大学で西欧の経済学の基礎を学び、そしてその後、新中国建国後の大学人として、ソ連の経済学のメッカに留

孫冶方(ソ連留学1925.10-30.9):真人品格和學者情懷 張曙光 2018

 張曙光《中國經濟學風雲史 下巻Ⅲ》八方文化創作室, 2018年3月 (有名な孫冶方(スン・イエファン 1908-1983)のお話(孫冶方:真人品格和學者情懷 孫冶方:その本当の人ととしての風格と学者としての志)だが、張曙光の記述は多くの点でこれまでになく詳細である。張曙光は長時間の聞き取りをしたとしており、その内容は注目されてよい。なお最後の憲法改正の提言も、中国の知識人の間では知られていることかもしれないが私には新鮮であった。) p.1038 孫冶方の一生は順調でなく、お

王元化 孫冶方同志に関する思い出  2009

《回憶孫冶方同志二三事》 載 《人民政協網》http://rmzxb.com.cn/ 2009年1月15日(『解放日報』より転載)(2015年6月10日閲覧)  1962年6月から8月。陳伯達は孫冶方に毎日『紅旗』雑誌編集部に行き”座談会”に参加することを誘った。康生も何度か孫冶方に座談に行くことを約束させ、彼ができる限り「出す(放)」ことを奨励した。彼の「修正主義」罪の証拠を集めて、一撃でやっつけるために(一棍子打死)。彼はこれが陰謀であることをはっきり知っていたが、なお

劉国光(ソ連留学 1951-55):官学難以兼得 張曙光

張曙光《中國經濟學風雲史 經濟研究所60年》八方文化創作室, 2018,pp.1095-1148 esp.1095-1097 (明らかに張曙光は劉国光を官僚学者になり下がったとして嫌っている。劉国光(リウ・グオグアン 1923-)は、董輔礽と経歴は似ていて、国民党統治下の中国の大学で西欧の経済学にまず触れたうえで、新中国になってからソ連留学の機会を得ている。当時はそれが最高のエリートの道だった。文革中の挫折、改革解放後の活躍も同じである。ロシアでマルクス経済学の教育を受