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中国経済学史

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2021年10月の記事一覧

張占娬《中国経済新棋局》2017

 張占娬《中国経済新棋局》人民出版社2017年11月。張占娬は国家行政学院経済学教研部主任。国家行政学院は国の役人、党官僚を教育する組織であるので、この書物はそうした教育の教材だと考えられる(写真は2021年9月2日。コロナ下での習近平総書記を迎えた学習風景。出席者をコロナ前の半数に抑え開催したことが伺える。)。 p.1 習近平同志は指摘している。「私は中国共産党成立百周年のとき(補語 2021年のこと)、小康社会を全面建設(建成)する目標は必ず実現できると確信している。私

国家行政学院 中国経済新常態 2015

これは以下からの採録。大変分かりやすいが、要するに社会人向けの学習教材からである。 国家行政学院経済学教研部編著『中国経済新常態』人民出版社2015年。(写真はコロナ前の2019年9月3日、習近平総書記を迎えた学習風景。) p.3 一、中国経済成長の新段階は経済の新常態を促している  中国は過去三十余年年平均成長率は10%近く、世界経済史で「中国の奇跡」を作った。現在、経済発展を内側で支える条件と外部の需要環境には深刻な変化が生まれ、経済成長速度の切り替え(換擋)

吳英案死刑判決 2009/12

経済犯罪で死刑という判決は、日本から見ているといかにも極端に見える。しかし中国では、そうした事案が実は少なくない。ところで吳英が28歳の若い女性であったこともあり、この死刑判決は全国的な関心を集めた。問題にされた行為は、非法に資金を集める行為で重罪である。しかし民間の貸借(地下金融)は実際には広範におこなわれていること、背景には、民営中小企業が資金難であるのに、金融制度が整備されていない(政府の不作為)問題があることなどから、この死刑判決を批判する意見が全国的にたかまっ

毒奶粉事件 2008/09

 北京オリンピックが開催されたのは2008年8月8日から24日だが、その直後の2008年9月9日の上海「東方早報」の報道で一気に事態が動いたのが、三鹿集団が起こした毒ミルク粉事件である。ただよく考えると、問題は三鹿だけでなかったはずなのに三鹿だけに焦点があたったこと、問題の指摘が、2005年からおこなわれていたのに、報道が出た2008年9月まで問題の摘発が遅れ、長期間放置されていたことなどいろいろな疑問が残る。  以下の記事は、吳曉波《激蕩十年,水大魚大》中信出版集團2017

物価闖關失敗の責任問題と趙紫陽

 物価闖關失敗の責任問題と趙紫陽           福光 寛  ここで物価闖關は1988年春中国で取られた価格自由化措置のこと。失敗とは猛烈な物価高騰を招いたことを指す。この問題については以下の別稿ですでに述べている。なお上の写真は1988年4月山東威海でのスナップ。『趙紫陽軟禁中的談話』開放出版社2007年p.22より転載。  ここで問題にしたいのは、この「失敗」の責任を当時総書記だった趙紫陽に求める意見があり、経済学者のなかでは吳敬璉が繰り返し執拗に、これに言及してい

趙紫陽 指令性計画から指導性計画へ 1984/09/09

 党の十二大報告作成にむけて趙紫陽が中央政治局常務委員に1984年9月9日出した書簡と、各委員(胡耀邦 鄧小平 李先念 陳雲)の返答が盧躍剛《趙紫陽傳》に記録されている(盧躍剛《趙紫陽傳下卷》INK印刻文学2019年pp.897-903)。大変興味深いので紹介したい。写真は1985年10月24日の趙紫陽(場所は国連総会会議場と推定)。《趙紫陽傳上卷》INK印刻文学2019年p.010より転載。  書簡は我が国の経済体制をどのように概括するかという問題を提起している。そこで中