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中国経済学史

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2019年5月の記事一覧

八項規定2012年12月4日ー反腐敗運動

ここでは手元にある 孟慶海 游以民《十八大以來反腐熱詞》中國方正出版社,2016年3月の記載を使って、習近平政権下の反腐敗運動で問題にされる腐敗とはそもそも何かを考えておきたい。(写真は成城大学3号館)  まず八項規定が登場している。2012年12月4日 中央政治局会議で、工作作風を改善するなどのための八項規定が議決された(小稿末の年表が示すようにそのタイミングは習近平が総書記に就任した直後であった。)。これは政治局同志への注意である。①真実の情況を把握したうえで、

胡鞍鋼《中國崛起之路》2007にみる「全面的な小康社会の実現」に到る経済目標の変遷

 胡鞍鋼《中國崛起之路》北京大學出版社,2007 pp.323-332, 372-388(王京濱訳『国情報告 経済大国中国の課題』岩波書店, 2007 pp.161-191 王訳は原書をかなり大胆に編集している。しかしこの大胆な編集については、どこにも明記されていない。その意味で王訳については、かなり問題を感じるが、ここでは中国における全面的小康社会の実現に到る経済目標の立て方の変遷を見る資料という意味で資料としてだけ使うことにする。  「小康」が1980年に鄧小平の発

民主化についてのー胡鞍鋼、李羅力、吳敬璉の議論(2019/05/13)

民主化についてのー胡鞍鋼、李羅力、吳敬璉の議論  福光 寛  胡鞍鋼《中國崛起之路》北京大學出版社,2007 pp.198-204(王京濱訳『国情報告 経済大国中国の課題』岩波書店, 2007 pp.104-110)ここでは胡鞍鋼を引くが中国の経済学者の中国経済に関する議論をみるとき、一つの注目点は政治改革の問題の扱い方である。胡鞍鋼の本書での主張は、共同綱領で見られた民主党派との連携という政治の在り方がその後失われたことを問題にしているが、この問題は事実関係としてはよ

均(ひと)しからざるを患(うれ)う 杜潤生「公平重視への転換」2006/08

《改兼顧公平爲重視公平(2006年8月15日)》載《杜潤生文集(1908-2008)》山西經濟出版社2008年,pp.1448-1449 (《改兼顧公平爲重視公平》載《杜潤生改革論集》中國發展出版社,2008,pp.187-188から底本を変更するとともに訳文を改めた。2020年6月28日)這是作者在中國市場經濟論壇上的講話要點。(写真は緑に覆われる成城大学にて。正面奥に大学図書館) なお以下にでてくる、不患寡而患不均は、『論語李氏篇第十六』に出てくる言葉。論語は君主と

中央組織部 中国特色社会主義八講 2013

「社会主義初級段階理論」についての党員向け説明。中共中央組織部党員教育中心組織編写「自分の道を歩め(走自己的路) 中国特色社会主義八講」人民出版社, 2013年9月, pp.120-123, 125(写真は成城池に面して成城大学3号館) p.120 1956年に我が国社会主義制度が開始されて(建立)以来,数十年の発展を経過し、わが国はもともとの基礎に加えて大きく発展した。しかし発達した国家と比べると、わが国の生産力水準は低く(比較低)、わが国はなお社会主義初級段階(階

徐偉新 等《中國新常態》2015

 新常態new normalについては2014年5月以降の習近平の発言により、中国は新たな経済状態に対応せねばならない、という経済面での文脈で使われることが多い。  しかし新常態には、政治・思想面に重点を置いた説明が今一つある。以下は徐偉新 等著《中國新常態》人民出版社,2015年, pp.1-125からの抄訳。徐偉新は中央党校副校長で全体の調整を行ったとのこと。10人の実際の執筆者の名前が巻末にある。参照 p.124 本書は党員向けの教材だと思われる。 p.1 はじめに:

胡鞍鋼 鄢一龍 等《中國新發展理念》,2017

  手元にある胡鞍鋼,鄢一龍,唐嘯等《中國新發展理念》浙江人民出版社,2017年3月によれば、2015年10月、中国共産党十八届五中全会は、新たな発展理念として「創新発展,協調発展、緑色発展、開放発展、共享発展」を「五大発展理念」として掲げた(p.2)。同書によれば、2020年にも第十三次五か年計画(2016-2020)が終わり、2020年に全面的小康社会の建設(全面建成小康社會)という、党の100年かけた目標が実現されることをにらみ、また新常態という新たな経済環境の変化を

董輔礽(1952-57年ソ連留学):人生軌跡及其轉向 張曙光

董輔礽:《有偽學者的人生軌跡及其轉向》載《中國經濟學風雲史》八方文化創作室,2018,p.1046-1094, esp.1046-1048(董輔礽(トン・フーレン 1927-2004)は最初、武漢大学で西欧の経済学に基礎を学び、それから20代半ばでソ連に留学した。ソ連留学時に孫冶方の知己を得て、帰国後、間もなく経済研究所に招かれている。国民党支配地区で正規の教育を受けたためにまず大学で西欧の経済学の基礎を学び、そしてその後、新中国建国後の大学人として、ソ連の経済学のメッカに留

劉国光(ソ連留学 1951-55):官学難以兼得 張曙光

張曙光《中國經濟學風雲史 經濟研究所60年》八方文化創作室, 2018,pp.1095-1148 esp.1095-1097 (明らかに張曙光は劉国光を官僚学者になり下がったとして嫌っている。劉国光(リウ・グオグアン 1923-)は、董輔礽と経歴は似ていて、国民党統治下の中国の大学で西欧の経済学にまず触れたうえで、新中国になってからソ連留学の機会を得ている。当時はそれが最高のエリートの道だった。文革中の挫折、改革解放後の活躍も同じである。ロシアでマルクス経済学の教育を受