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中国に関連して生じた事実

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https://blog.goo.ne.jp/fu12345/e/7cc5e1ad373775c11668b88a748c64a6 政治的文化的側面を中心に年代順に採録。
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2021年3月の記事一覧

七七事変から太平洋戦争までー宋子文     1937-41

 盧溝橋事変は1937年7月7日であるので七七事変ともいう。この日本軍部の策動は、中国国内を抗戦つまり抗日で一致させる効果があった。ここから1941年12月7日の太平洋戦争勃発までを宋子文の動きを中心にみる。  記述は王松《宋子文全傳》團結出版社2017年pp.194-215による。  宋子文は1933年10月に行政院副院長、財政部部長といった職務を辞職している。しかし1933年4月には中央銀行懂事長,中央銀行常務理事、全国経済委員会常任委員会、中国銀行懂事長になっている。

西安(シーアン)事変1936/12/12

 中国における共産党と国民党の死闘が最終的に共産党の勝利に終わった一因に西安事変(1936年12月)の発生がある。以下の記述は王松《宋子文全傳》團結出版社2017年pp.153-191による。  (なお以下も参照している。林博文《張學良 宋子文 檔案大揭秘》上海人民出版社2010年,張學良口述歷史中的西安事變pp.46-50,宋子文所經歷的西安事變pp.150-153。なお写真は後楽園駅近く後楽園球場近くの擁壁。ビオフィルム工法:ナチュロックを表面に張っているーで特徴のある都

中共中央の武装暴動方針と陳独秀の経済闘争主義 1927年

以下は任建樹『陳独秀與近代中國』上海人民出版社·2016年pp.160-161の翻訳 p.160 1929年11月15日、中国共産党の創設者のひとりで、五届中央書記を務めさえした陳独秀は、党籍を除かれ離党させられた。この以前、彼と中共中央は中国革命問題について広範でまた激烈な争論を行った。この論文(本文)はこの論争の主要問題そして陳独秀と中央の主要な分岐について整理(梳理)しようというもの。併せて若干の意見をのべたい。 1927年末の3通の書簡  大革命失敗後、中共中央

魯迅 阿Q正伝 1921

 魯迅の「阿Q正伝」を久しぶりに読んだ。このお話にはいくつかのポイントがある。一つは精神勝利法というもの。ボロボロに負けたって、考え方で勝利して意気揚々になるというもの。 打完之後,便心平氣和起來,幾乎打的是自己,別打的是別一個自己,不久也仿佛是自己打了別個一般ー心滿意足的得勝的躺下了。 この精神勝利法は阿Qをからかっているようであり、中国が遅れた状態から抜けだせなかった原因を探っているようでもある。  もう一つは阿Qがどこまでも、救われないみじめな存在で、最