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中国に関連して生じた事実

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https://blog.goo.ne.jp/fu12345/e/7cc5e1ad373775c11668b88a748c64a6 政治的文化的側面を中心に年代順に採録。
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2019年1月の記事一覧

賈平凹「老いて生きる」(2014)

 賈平凹(チア・ピンアオ)は1953年陝西省生まれの作家。手元にあるのは「老生(老いて生きる、長生きするという意味)」と題された2014年に発表された小説の翻訳(吉田富夫訳中央公論新社2016年)。著者「あとがき」によると、著者自身は農村部で育った。土地改革を見聞したのは小学校に上がる前だろうか。著者が中学生になってから「文化大革命」が始まり、教師だった父が反革命分子とされ苦労したことが伺われる。この小説が小説として成功しているか、描くべきことを描き出せているかは、ここでは置

魯迅《藤野先生》1926/10

 魯迅と藤野(ふじの)先生との関係はこの小篇で歴史に残った(日付けは1926年10月12日 手元の『魯迅作品選』大安1967年pp.121-128を使った。この手元の本は私の50年以上前の学生時代のもの。時間は早く経つものだ。)。(写真は心光寺山門)  その中のエピソードでも心を打つのは、魯迅のノートに藤野が詳細に添削を加えたことだろう。留学生に対して確かにそうした指導が逆に必要なのだとも思う。昔、北海道大学で見た札幌農学校の資料のなかに、外国人講師の英語による講義をそのまま

從百草園到三味書屋(2)魯迅 1926/09

魯迅(ルー・シュン 1881-1936)。 魯迅は浙江省紹興県生まれ。その子供時代を思い起こして書いた散文である。写真は『魯迅作品選』大安1967年発行より採録した『三味書屋』内部。日本の寺子屋とは違い、机と椅子であり、天井も高い。中央に先生が座っていたのだろうか。散文の後半は魯迅がその子供時代に通った三味書屋という書塾の思い出である。なるほど書院ではなくて書屋というのだと感心する。勉強の方法はただひたすら朗読するというもの。その後習字。さらに先生による暗唱のチェック(対課)

從百草園到三味書屋(1) 魯迅 1926/09

魯迅(ルー・シュン 1881-1936)。 魯迅は浙江省紹興県生まれ。その子供時代を思い起こして書いた散文である。1926年9月18日と脱稿の日付けがある。なお写真は『魯迅作品選』大安1967年より採録した。この散文の最初の百草園の部分では、美女蛇伝説が語られる。人の名を呼んで返事をしたら、夜の間にやってきてその人の肉をたべてしまうという。その教訓は、覚えのない人に名前を呼ばれても絶対に返事をしてはいけない、というもの。記憶に残る教訓である。 結末的教訓是:所以倘有陌生的聲