陳雲 「包産到戸」を毛沢東に進言 1962/07/09夜
1962年。この年、「7000人大会」があり大躍進政策の失敗が確認された。ただ大会は毛沢東の責任を十分追及しないまま終わった。そして毛沢東と劉少奇との間の矛盾対立は次第に拡大する。焦点は大飢饉を生み出した農業で、集団化政策の誤りを認めるかどうか。問題は明らかだったので、周囲の人々が次々に毛沢東説得を試みる。7月9日夜の陳雲による毛沢東への報告は、こうした動きの一つである。説得に失敗した陳雲は、治療を名目に蟄居を選択している。葉永烈『歴史的注脚』中華書局2014年6月pp.28