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朱鎔基 1928-

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朱鎔基(1928-)朱鎔基は清華大学出身。朱鎔基は政治家の道を歩むが、大変途中で苦労した。北京大学に進んだ厲以寧(1930-)についてもここで扱う。厲以寧は株式制度の導入で功績。
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#澤蔵司稲荷慈眼院

朱鎔基 情報産業発展の重要性を充分に認識せよ 1992/01/11

これは朱鎔基同志が郵電部で聞き取りの後の工作講話の一部分である。1992年1月11日。米国におけるインターネットの発展に注目し、国内の情報通信網の整備に力を注ぐ様子がうかがわれる。《朱鎔基講話実録 第一巻》人民出版社2011年pp.124-125(写真が澤蔵司稲荷慈眼院の空き地でみかけたドクダミの群生。) p.124 私は今一度述べる問題は、情報産業発展させることの重要性を、必ず十分に認識せねばならないということ、についてである。 現在は情報時代である。米国人さえ

朱鎔基 金融のマクロ調整を適切に行え 1993/01/16

1993年1月16日 北京で行われていた全国銀行分行行長、保険分公司総経理の会議の最終日に朱鎔基が行った講話の主要部分。搞好金融廣觀調控(1993年1月16日)載《朱鎔基講話實錄 第一卷》人民出版社2011年pp.265-268の全訳である。  (写真は澤蔵司(たくぞうす)稲荷慈眼院入り口のレリーフ。1620年に傳通院別当澤蔵司稲荷慈眼院が起こされたとされている。左手がおそらく旧幸田露伴宅。近くには文人の家が多い。松尾芭蕉の俳句に「ひとしぐれ礫(こいし)や降って小石川」)。