マガジンのカバー画像

朱鎔基 1928-

38
朱鎔基(1928-)朱鎔基は清華大学出身。朱鎔基は政治家の道を歩むが、大変途中で苦労した。北京大学に進んだ厲以寧(1930-)についてもここで扱う。厲以寧は株式制度の導入で功績。
運営しているクリエイター

#金融改革

鄧小平 企業改革と金融改革 1986/12/19

這是鄧小平同志聽取幾位中央負責同志匯報當前經濟情況和明年改革設想是的談話要點。《鄧小平文選 第三卷》人民出版社1993年,pp.192-193(写真は播磨坂にて) 我々の改革は一体何歩歩かねばならないのか。どれだけの時間で完成するのか。皆さんには研究してほしい。  長期的に見て糧食問題はとても重要で、改革により農業発展が遅い問題(農業發展後勁問題)を解決する必要がある。企業改革は主としては国営大中型企業活性化(搞活)問題の解決である。  さまざまな形式を用いて所有権と

朱鎔基 金融のマクロ調整を適切に行え 1993/01/16

1993年1月16日 北京で行われていた全国銀行分行行長、保険分公司総経理の会議の最終日に朱鎔基が行った講話の主要部分。搞好金融廣觀調控(1993年1月16日)載《朱鎔基講話實錄 第一卷》人民出版社2011年pp.265-268の全訳である。  (写真は澤蔵司(たくぞうす)稲荷慈眼院入り口のレリーフ。1620年に傳通院別当澤蔵司稲荷慈眼院が起こされたとされている。左手がおそらく旧幸田露伴宅。近くには文人の家が多い。松尾芭蕉の俳句に「ひとしぐれ礫(こいし)や降って小石川」)。

朱鎔基 金融工作"約法三章" 1993/07

1993年7月2日、八届全国人代常任委員会第二次会議は朱鎔基同志の中国人民銀行行長兼任を決定した。7月5日から7日まで国務院は北京で全国金融工作会議を開催し、各地の人民銀行分行行長、専業銀行本店、中国人民保険公司の責任者、国務院関連部門の責任者などが出席した。《金融工作”約法三章”(1993年7月7日)》載《朱鎔基講話錄 第一卷》人民出版社2011年pp.307-316 朱鎔基が金融改革の担い手の先頭にあったことをうかがわせる重要文書である。(写真は六義園) p.307

厲以寧 同光華管理學院畢業生的談話1995/07/20

厲以寧經濟文選 中國時代經濟出版社 2010 pp.57-67 1995年7月20日同北京大學光華管理學院一部分即將到金融界,企業界工作的畢業生的談話。 (この談話の直近に商業銀行法制定があった。投資、融資の主体が自らの決定に関してリスクを引き受けることが、体制改革の鍵になると、厲以寧は卒業生に熱く語りかけている。後半は証券市場の意義を論じているが、銀行が商業銀行に転換することを背景の要因の一つに挙げている。厲以寧がこのような新たな論点を取り入れる頭の柔らかい人物であること

朱鎔基 金融工作指導監督強化 1999/01

中央が行った省部クラスの主要幹部の金融研究グループに対する講話。加强對金融工作的領導與監督(1999年1月8日)載《朱鎔基講話錄 第三卷》人民出版社2011年pp.204-215, esp.204-209 朱鎔基の言葉は、多くの問題を指摘しながら、しかし指導者としての自信に満ち堂々としていることが大変印象的である(写真は六義園にて。2020年6月8日)。 p.204 一、我が国の現在の金融形勢の基本情況 我が国金融の状況は、二つの言い方にまとめることがで