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薛暮橋(1904-2005)、孫冶方(1908-1983)

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薛暮橋(1904-2005)そして孫冶方(1908-1983)の関係資料を採録。二人はかなり肌合いが違うが、上海そして北京で接点がある。
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#劉少奇

薛暮橋 (1904-2005)

百度百科(全訳) 薛暮桥(シュエ・ムーチアオ 1904年10月25日ー2005年7月22日) 元の名前は雨林、江蘇無錫の人。1927年中国共産党に加入。1938年から1942年まで新四軍で働く。新四軍教導総隊訓練処副処長。通俗著作『政治経済学』教科書を書いたが、それは新四軍幹部の育成(培训)教材となった。中華人民共和国が成立後、政務院財政経済委員会秘書長と私営企業局局長とを兼任したほか、国家統計局局長、国家計画委員会副主任、全国物価委員会主任、国務院経済研究所中心総幹事(

薛暮橋 1959年11月の劉少奇同志との思い出(回憶錄1996)

(「薛暮橋回憶錄」天津人民出版社1996/2006より) (写真は心光寺石仏。右側に文化4年1807年という年号の碑文がある。子供を抱いた母子像であることに気づきはっとした。)  p.198 (1959年11月。劉少奇が海南で組織したソ連の政治経済学教科書の読書会に参加して)「大躍進」と人民公社化運動の中にあって多くの同志は程度の差はあるが、客観経済規律を軽視していたが、しかし(劉)少奇同志は読書会においていつも客観経済規律の重視を強調し、中国の実際情況から出発すべきことを

孫冶方 劉少奇提倡民主 1980

 以下は孫冶方《重視理論 提倡民主 尊重科學-回憶少奇同志的幾次講話》載《經濟研究》1980年第4期の第二段落の翻訳である。《孫冶方經濟文選》中國時代經濟出版社2010年249-258,esp.253-255から採録した。この記述の前半、資本主義の未発展と民主の伝統の欠乏との関係の指摘は鋭いし興味深い。だが後半、小資産家が右に左に揺れ動くとするのは、記述として疑問が多い。小資産家かどうかは無関係で、民主の伝統が欠如している社会では、すべての人々が保身のため、右に左にゆれるので