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薛暮橋(1904-2005)、孫冶方(1908-1983)

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薛暮橋(1904-2005)そして孫冶方(1908-1983)の関係資料を採録。二人はかなり肌合いが違うが、上海そして北京で接点がある。
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#心光寺石仏

薛暮橋 1959年11月の劉少奇同志との思い出(回憶錄1996)

(「薛暮橋回憶錄」天津人民出版社1996/2006より) (写真は心光寺石仏。右側に文化4年1807年という年号の碑文がある。子供を抱いた母子像であることに気づきはっとした。)  p.198 (1959年11月。劉少奇が海南で組織したソ連の政治経済学教科書の読書会に参加して)「大躍進」と人民公社化運動の中にあって多くの同志は程度の差はあるが、客観経済規律を軽視していたが、しかし(劉)少奇同志は読書会においていつも客観経済規律の重視を強調し、中国の実際情況から出発すべきことを

農業の社会主義改造 (薛暮橋《中国社会主義経済問題研究》第2章1979/1983)

薛暮橋「中国社会主義問題研究」(1979年 人民出版社 なお1980年外文出版社から邦訳 手元には1983年版 人民出版社がある。こちらを原書として引用する)第2章後半。邦訳pp.61-78 原書pp.30-50(写真は心光寺石仏。) ここで最初に引用されている毛沢東の言葉邦訳p.62。「分散的小生産こそ封建支配の経済的基礎」這種分散的個體生產,就是封建統治的經濟基礎「このような状態を克服する唯一の方法が、次第に集団化することである」《組織起來》毛澤東選集第三卷 これは毛沢東