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薛暮橋(1904-2005)、孫冶方(1908-1983)

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薛暮橋(1904-2005)そして孫冶方(1908-1983)の関係資料を採録。二人はかなり肌合いが違うが、上海そして北京で接点がある。
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2019年4月の記事一覧

薛暮橋 鄧小平宛上申書1978/04/18 社会主義経済問題研究の出版1979/12

(筆者記載なし)《改革開放中的薛暮橋:冲破左傾“禁區” 》載《中國改革信息庫》 2014年7月17日 (閲覧2015年6月15日)  1976年四人組は粉砕され、「文革」の大災難(浩劫)は終わったと宣言された。しかし1977年と1978年の2年間、全国の誤った路線を正す(糾正)工作はこれまでになく何も決められなかった(徘徊)。薛暮橋は憂いのあまり(憂心忡忡)何度も熟慮したうえで、率先して高い目標、高速度に対して質疑を提出することを突破口に中央に上書して、得失を直言して(直陳

張卓元 薛暮橋回顧録を読む(1) 1996

張卓元 對社會主義客觀規律的成功探索 經濟研究1996年第11期 55-59 p.55 1996年の国慶節。私は逸(はや)る気持ちで(以先睹为快的心情)35万字の薛暮橋回顧(回憶)錄を読みとおした。書中に、一人の社会責任感のとても強い経済学者を見ることができた。彼は、60余年の仕事と研究実践において刻苦して深く研究し(刻苦鑽研)、社会主義の客観経済規律の探索に努力し、相当に成功したと人々に思わせる足跡を残した。  薛暮橋同志は建国以後現在まででわが国でもっとも有名な経済学

張卓元 薛暮橋回顧録を読む(2) 1996

張卓元 對社會主義客觀規律的成功探索 經濟研究1996年第11期 55-59 (中略) p.57 暮橋同志のわが国社会主義経済科学建設の貢献はとても多いが、紙幅に限りもあるので、ここではその主要点をただ列挙するにとどめる。  第一に、比較的早く伝統社会主義理論の束縛を率先突破して、旗幟鮮明に我が国の現今の社会主義経済はただ一種の商品経済そして市場経済として存在できる(只能是)だけで、伝統的計画経済体制を必ず断固として(堅決)改革することを提起(指出)したこと。暮橋同志は国家計

衛興華《社會主義經濟學》2004

陳東琪主編《1900-2000中國經濟學史綱》中國青年出版社, 2004より第1章社会主義経済学pp.1-22 を抄訳。この章の分担執筆者は中国人民大学の衛興華(1925-2019)である。(写真は成城大学1号館中庭 2019年6月21日) p.1 第一節 社会主義経済学の萌芽時期    一、社会主義経済学の最初の探索  20世紀に入るところで、マルクス主義が中国に伝播し世界で最初の社会主義国家ソ連が建設され、社会主義生産関係を研究対象とする社会主義経済学が生み出され

王元化 孫冶方同志に関する思い出  2009

《回憶孫冶方同志二三事》 載 《人民政協網》http://rmzxb.com.cn/ 2009年1月15日(『解放日報』より転載)(2015年6月10日閲覧)  1962年6月から8月。陳伯達は孫冶方に毎日『紅旗』雑誌編集部に行き”座談会”に参加することを誘った。康生も何度か孫冶方に座談に行くことを約束させ、彼ができる限り「出す(放)」ことを奨励した。彼の「修正主義」罪の証拠を集めて、一撃でやっつけるために(一棍子打死)。彼はこれが陰謀であることをはっきり知っていたが、なお

張卓元《新中国60多年経済学研究的六大進展》2012

張卓元等著《新中国経済学史綱(1949-2011)》中国社会科学出版社, 2012年。同書の第1章、張卓元《新中国60多年経済学研究的六大進展》pp.1-50の抄訳である。 p.1 1949年の新中国成立から2011年まですでに63年が経った。中国共産党の指導のもと、三座大山(新民主主義革命期には帝国主義、封建主義、官僚資本主義という三つの敵がいたとされる)の暗黒統治をひっくり返して、人民が主人公となる中華人民共和国を建設し、併せて社会主義の広く平坦な道(康庄大道

孫冶方(ソ連留学1925.10-30.9):真人品格和學者情懷 張曙光 2018

 張曙光《中國經濟學風雲史 下巻Ⅲ》八方文化創作室, 2018年3月 (有名な孫冶方(スン・イエファン 1908-1983)のお話(孫冶方:真人品格和學者情懷 孫冶方:その本当の人ととしての風格と学者としての志)だが、張曙光の記述は多くの点でこれまでになく詳細である。張曙光は長時間の聞き取りをしたとしており、その内容は注目されてよい。なお最後の憲法改正の提言も、中国の知識人の間では知られていることかもしれないが私には新鮮であった。) p.1038 孫冶方の一生は順調でなく、お