マガジンのカバー画像

私の東京案内

200
運営しているクリエイター

#千代田区

Cafe Pront at Hibiya Library

 千代田区立日比谷図書文化館(旧都立日比谷図書館)を訪れた時、しばしば立ち寄るのが1階奥にあるProntだ。今日はたまたま、窓際の席が空いていた。私が通常訪問する午後の時間帯は混んでいるので、窓側の席を利用できたのは幸運だった。残念ながらおしゃべりおばさんが隣席ではあったが(写真を見れば理解できるようにおしゃべりをする雰囲気は全くないのだが)、明るい窓側でしばし快適に過ごせた。  ところで書店と喫茶店が隣接しているケースはめずらしくなくなったが、図書館と洒落た喫茶店との組み合

皇居東御苑再訪

好天の中、東御苑を再訪して歩く。多言を要しない。私たちはこうした空間が好きなのだと感じる。アクセス 大手町より大手門から。

市政会館・日比谷公会堂

 久しぶりに千代田区立日比谷図書文化館(旧都立日比谷図書館)を訪ねた折りに、市政会館・日比谷公会堂の写真を撮った。この建物は安田善次郎の寄付により、昭和4年1929年10月に竣工したもの。設計は佐藤功一(1878-1941)。地上6階地下1階、塔屋部分が4階である。施工は清水組(現清水建設)。関東大震災復興のシンボルの一つ。都心のビルが絶え間なく建て替わってゆくなかで、長く日比谷公園のランドマークであり続けている。 国会通りに面しては市政会館の、そして大噴水前の第二花壇(令和

神田川橋梁

 神田川橋梁は「松住(まつずみ)町架道橋」に接続して、総武本線を神田川を渡らせ御茶ノ水につないでいる鉄道橋梁である。橋長56m。  ところで橋で水平に渡す構造物を「桁(けた)」という。またI字型の鋼鉄の桁をガーダーplate girder,四角い箱型の桁をビームbeamという)。またこの「桁」と「支点」だけで橋をつくると、これを桁橋という。  桁橋は上に天板をのせたり、途中に橋脚を付けることもある。短い区間に橋を付ける場合に、桁橋は良く見られる。神田川橋梁は、プレートガーダー

松住(まつずみ)町架道橋

 橋を見て回ると言葉の発見がある。人だけが歩く人道橋があり、鉄道が走る鉄道橋がある。ここで紹介する「松住町架道橋」は鉄道橋でありJR総武本線がそのうえを走っている。また川ではなく、道の上に架けているので「架道橋」と呼ばれる。この松住町架道橋が存在する場所は、御茶ノ水と秋葉原の中間地点。またいでいる道路とは外堀通りと国道17号線である。そして外堀通りにある昌平橋上から松住町架道橋全景が見える。  秋葉原からもお茶の水からも徒歩圏であるが、今回は、JR御茶ノ水からまず湯島聖堂に行

常磐橋と常盤橋

 「ときわばし」を訪ねたのだが、現在はこの橋の近くで、2028年3月竣工を目指し東京トーチタワーが建設中。そのためもあって、橋をとりまく環境は落ち着きがないように感じた。ところで「ときわばし」は2本ある。2本の橋はいずれも、日本橋川を挟んで、千代田区と中央区とを結んでいる。    三菱地所 「Torch TOWER」新築着工 2023/09/27  まず一つ目の「ときわばし」は、明治10年1877年に小石川橋門の石垣を使い建造された石橋である。明治の始まりのころ、江戸時代の木

万世橋(まんせいばし)

万世橋は、国の重要文化財でも土木学会の選奨土木遺産でもないが、神田川にかかる、とても綺麗な橋の一つだ(見出し写真は万世橋東側)。アーチの形が素敵だ。関東大震災後、昭和5年(1930年)3月に築造されたアーチ橋。長さ26M、幅36Mとされる。照明塔や欄干のデザインは昭和61年度(1986年度)改修時のもの。次の改修時にはできるだけ原型復元をお願いしたい。 平成11年度(1999年度)選定東京都選定歴史的建造物。 アクセス:JR秋葉原駅から徒歩5分。

赤坂日枝神社

 山王鳥居 日枝神社の鳥居の形は山王鳥居といい、日枝神社が神物習合の山王信仰を示す日吉神社(比叡山の麓にある日吉大社が本社である。なお日吉大社も昔は、比叡神社、日枝神社と言ったのだが、枝を縁起が良いとして吉に置き換えることがあり、さらに神社を大社と言い換えることがあり、日吉大社とよぶようになった。)の系統に属することを示している。より一般的な鳥居の形は明神鳥居と呼ぶ。  日枝神社は山王社とも呼ぶ。比叡の山の神を祀っていると考えればよい。日枝神社の名称は、比叡を日枝とも書いたり

赤坂日枝神社男坂の大イチョウ

 日枝神社そのものは昭和20年1945年5月の東京大空襲で社殿のほとんどを失った。なおごく一部の樹木は奇跡的に焼失を免れた。石段を下りて左手にある背の高い銀杏はその一本である。高さは20m以上はあると思われる。  千代田区内の戦争 この資料によれば、山王社の被災は1945年の5月25日の空襲によるもので山王社の地域は焼失地域になっている。pp.6-7  山王鳥居 日枝神社の鳥居の形は山王鳥居といい、日枝神社が神物習合の山王信仰を示す日吉神社の系統に属することを示している。より

靖国神社神池庭園

 靖国神社に日本庭園があることは聞いていたが、今回初めて訪問できた。場所は拝殿の右後ろ。神池(しんち)庭園といい、池を囲む日本庭園になっており、茶室が設けられている。この場所を知って利用しているのは近くの勤め人で、ここを息抜き場所としている人。しかし参拝客でここに足を伸ばす人は、ここに庭園があることをあらかじめ知り、かつ、庭園を見る時間を作っていた人に限られよう。ここは自然が豊富で良い庭園だと感じる。小さな庭園だが、都会のオアシスという言い方がふさわしい。池には、鯉が悠然と泳

靖国神社

 靖国神社は、幕末の嘉永6年1853年以降、国家のために一命をささげられた人の霊を慰めるために、明治天皇が明治2年1869年に創建された「招魂社」を明治12年1879年に「靖国神社」と改称して現在にいたっているもの。  九段下方面から靖国神社を訪れると、最初に目にするのが大鳥居(第一鳥居)である。高さ25M。日本最大の鳥居である。  この鳥居から青銅製の第二鳥居に向けては、灯篭とイチョウ並木が続く。二つの鳥居のちょうど中間に大村益次郎の銅像がそびえている。  第二鳥居は明治2

インターメディアテク(IMT)

 インターメディアテク(IMT)は東京駅丸の内南口、JPタワーの2-3階に展開される東京大学総合研究博物館が運営するミュージアム(博物館)だ。本体の東京大学総合研究博物館が開館日が限られていたりするのに比べると、月曜以外は開館しているなど、訪問しやすくなっている。   今回訪ねるきっかけは、牧野富太郎についての展示や「東京エフェメラ」の展示がHP上に告知されていたからである。エフェメラというのはポスターやパンフ、商業デザインなど一時的出版物のこと。  実はこのような、一時的

東京駅 Tokyo Station

 東京駅は日本の文明開化の象徴だと思う。その駅舎が大正3年1914年の創建当時の姿に復元されたのは平成24年2012年のこと。今、堂々たるこの駅舎をみると、欧米に列しようと努力した昔の人の心意気を感じて少し誇らしい気持ちになる。  東京駅が辰野金吾たちの設計により着工されたのは明治43年1910年8月1日のこと。竣工は大正3年1914年3月のこと(建設の重責を担ったのは大林組である。東京中央停車場。)。その後、関東大震災(大正12年1923年)があり、第二次大戦では空襲による

明治大学博物館

 既設の「刑事博物館」「商品博物館」「考古学博物館」を統合して、2003年12月に竣工した「アカデミーコモン」内に2004年に開設されたのが、「明治大学博物館」である。「アカデミーコモン」は市民向けの公開講座なども行う施設のようだが、そこに博物館を併設して、施設全体が大学の公開施設として市民との交流を図る姿勢はとても先進的に思えた。今回初めて見学したが、大学の広報施設としての側面が前面に出ていることを好ましく感じた。  地下1階の部分に事務室、図書室のほか「大学史展示室」と特