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私の東京案内

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#港区

三田演説館と福澤諭吉胸像

 慶應義塾大学三田キャンパスには国の重要文化財に指定されている建築物が二つある。一つがこの「三田演説館」もう一つは「図書館(旧図書館)」である。  「三田演説館」は明治8年1875年5月の竣工。大正13年1924年移築。都内に残る明治初期の洋風建築は貴重であるとして、昭和42年1967年6月に重要文化財に指定されている。木造瓦葺。壁は明治時代の建築に多い「なまこ壁」だが、窓は洋風であり、洋風を模して造られたことを伺わせる。  この建築の「おもしろさ」について以下を参照。  藤

慶應義塾大学図書館と塾監局

 慶應義塾大学三田キャンパスの建物はそれぞれ個性的で魅力があるが、その中で、華麗という表現があてはまるのは慶應義塾大学図書館(旧図書館)だろう。  慶應義塾大学図書館は明治45年1912年4月に竣工した。設計は、曾禰達蔵(嘉永5年1853年ー昭和12年1937年)、中條精一郎(慶應4年1868年-昭和11年1936年)の二人。その後、大震災(大正12年1923年)そして昭和20年1945年5月の空襲でも被害を受けた。現在の建物はこれらの被害からの修復を経たもの。昭和44年19

赤坂氷川神社の大イチョウ

 説明板によると樹齢は約450年。幹回り7.5m。享保15年1720年に氷川神社の社殿が、改めてここに建築される前から存在した樹で、二次大戦の空襲による焼損の跡を確認できる。港区天然記念物。  この説明から、昭和20年1945年の空襲の火の手は、この神社にも及んだこと。創建時の社殿が現在残っているのは、境内の緑によって守られたからだということが分かる。またこのイチョウは、社殿建設前にこの地にあった三次浅野家の屋敷の庭にあったものとも考えられる。  なお境内にはもう1本大イチョ

赤坂氷川神社

 私はかねて都区内の神社で江戸時代の面影を残すのは、根津神社だと勝手に思いこんでいたのだが、赤坂氷川神社を初めて訪れて、自身の思い込みを恥じた。根津はたしかに建物は立派だが、赤坂氷川の緑陰には負けると思った。これだけ奥深い緑が、東京の都心に残されていたことにもただ感心した。この緑陰は本当に素晴らしい。  旧徳川家出身の吉宗公(1684-1751)は、第八代征夷大将軍である(在職1716-1745年)。将軍となったあと、赤坂一ツ木村でかねて祀られていた氷川明神の社殿を新たに現在

岡崎藩本多家屋敷表門

 幕府老中方(岡崎藩本多家)屋敷の表門である。五万石以上の大名に許される格式の門とされる。文久二年1862年の火災後の再建である。当時は現在の丸の内、東京駅の南口近くにあったが、変遷ののちに、現在は、赤坂見附の山脇学園の校舎近くに移築、保存されている。重要文化財。  なお岡崎藩本多家は譜代大名で石高は五万石とされる。 戊辰戦争直前に新政府軍に加わったとのこと。  また現在この門は桁行21.8mであるが、もとはその6倍120mの長大な規模のものであったが、それを縮めたとしている

芝増上寺三解脱門

 東京の街を歩いて、最後はこの門に戻ってくる。元和8年1622年築造だが、増上寺の中で、江戸初期の様式を残すのはこの門のみという意味でも貴重な遺構である。間口十間余(約19m)、奥行き五間(約9m)、高さ七丈(約21m)。屋根は入母屋造り。二階建て三戸二重門であり、勾欄(欄干のこと )がある。重要文化財。  アクセス 都営地下鉄三田線芝公園下車徒歩5分。

芝増上寺のカヤ

 樹木は、それを見る目的で出かけない限り、観光目的で出かけてもなかなか記録することはない。この増上寺のカヤ(榧)も、増上寺南端の目立たない位置にあり、今回、普段見落としていることを意識してわざわざ見に行った。目通りの直径1.3m、周囲4m、樹高25mだが、大木感はない。しかし樹齢は600年。この地に増上寺が開かれた慶長3年1598年には、すでに自生していた樹木になる。港区の指定文化財(天然記念物)である。  カヤ(榧)は成長の遅い樹木として知られる。それだけにこの太さで樹齢6

芝東照宮のイチョウ

 都内の東照宮として、上野とともに芝の東照宮が知られる。そこに「芝東照宮のイチョウ」として知られる木がある。ただこのエリアは樹が多く、大木も多い。見出しは東側から見た遠景。大木ではあるが、緑陰の多い芝界隈で目立っていると言えるかどうか。ただこのイチョウは、寛永18年1641年に徳川家光が植えたとの伝承があり、樹齢がはっきり分かる点で貴重である。根本が8.3m、目通りが6.5m、高さ21.5mとされ(1993年の計測)、伝承から計算できる樹齢は400年弱である。東京都の指定天然

旧細川邸のシイ

 スダジイである。これはいわゆるシイノキ(椎の木)の一種。よくある樹木であるが、シイノキは木材としては利用しにくい樹種とのこと。素人目にも形が直線的とはいえないので柱材に使いにくいようには思える。  またここで旧細川邸とは肥後熊本藩細川家下屋敷のこと。説明板では幹回り8.13m、樹高10.8m。高さがそれほどでもないこともあり、巨樹として突出した印象がない。なぜこうなっているのか。ややわかりにくいが、主となるべき幹上部が切断されて、大木としての趣を失った木のようだ。上部を失わ

善福寺の大イチョウ

 元麻布にある善福寺の大イチョウである。善福寺は米国の初代公使タウンゼント・ハリス(1804-1878)が安政6年1859年に公使館を置いた場所として知られる。境内には、その記念碑が置かれている。今一つ知られるのは福澤諭吉(1835-1901)の墓所である点だが、福澤の墓は元は上大崎の常光寺にあったものを昭和52年1977年にこちらに移したとされる(墓を移すに際し掘り起こしたところ、福澤がほぼそのままの姿であらわれたという。鵜飼秀徳「福澤諭吉は地下4mの地底で着物を着て寝てい

迎賓館 赤坂離宮

 コロナ禍の結果、外国からの賓客が来なくなり、迎賓館、赤坂離宮がほぼ通年で一般参観を受け付けるようになった。おそらくは密を避けるため、広報は控えめ。迎賓館のサイトは参観できるかどうか(その方法も含め)大変分かりにくいが、これはわざと分かりにくくして人々が押し寄せることを防ぐ高等戦術だとも思える。  アクセスだが、四谷駅を降りて、迎賓館西口を探す。徒歩5分。さてこの建物は明治42年(1909年)に東宮御所として完成したもの(建設開始は明治32年1899年)。ネオバロック様式の西

聖徳記念絵画館

 大正15年1926年に竣工した聖徳記念絵画館には明治天皇と昭憲皇后の事績を描いた壁画80枚が収められている。いずれも著名な画家によるものである。絵画の構図に幾分の脚色はあるであろうが、イメージとしてそのように捉えていたということを含め歴史的資料としても貴重なものばかりである。何点か(「大政奉還」「江戸開城談判」など)は教科書でおなじみの絵画がならぶが、教科書から落ちている絵、つまりここで初めて見る絵に歴史を改めて教えられることが多い。  聖徳記念絵画館gallery  絵画

浜離宮恩賜庭園

 江戸時代の承応3年1654年に、徳川将軍家の鷹狩場であったところに四代将軍家綱の弟の松平綱重が海を埋め立て別邸を建てた。その子の綱豊が六大将軍家宣(1662-1712:在職1709-1712)となったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり「浜御殿」と呼ばれるようになり、その後、歴代将軍による改修を経て、十一代将軍家斉(1773-1841:在職1787-1837)の時代に現在の姿が完成している。明治維新の後は皇室の離宮となるが、関東大震災や戦災によって損傷。昭和20年194