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私の東京案内

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#名勝

朝倉彫塑館

 場所は日暮里駅北改札口から谷中方面に歩いて5分。今回はおそらく10数年ぶりの訪問。彫刻家として知られる朝倉文夫(1883-1964)の自宅でありアトリエである。最初に通されるのが堂々たるアトリエ。天井の高さ。しっかりした木組みの床材。なるほど大きな彫刻にはこうしたアトリエが必要なのだと納得する。そこに置かれている作品群も有名なものが多くただただ感心する。そしてその次が書斎。これも大変立派。そして応接間を経て玄関があり、昔の来客はここを通ってアトリエに至るのだとこれも納得する

円覚寺

 円覚寺(えんがくじ)はJR北鎌倉のほぼ駅前にあるので、気軽に立ち寄ることができる。昨日ふと思い立って、円覚寺を訪ねた。国宝舎利殿のことを思ったのだが、現地にたどり着いてから舎利殿の公開日が限られていることを思い出した。しかし、山門と仏殿を見て、来訪の目的を十分を達したように感じてしまった。  円覚寺は弘安5年1282年の創建。北条時宗が宋より招いた無学祖元禅師(1226-1286)により開山。その目的は蒙古襲来(文永11年1274年の文永の役,そして弘安4年1281年の弘安

旧芝離宮恩賜庭園

 延宝6年1678年に老中大久保忠朝の邸宅地となり、忠朝は上屋敷としてここに庭を築いた。それが時代を経て明治8年1875年から宮内省に買い上げられ、翌年芝離宮とされた。大正12年1923年の関東大震災で大きな被害をうけたあと、翌大正13年1924年1月に東京市(都)に下賜されて現在に至る。  この庭園の良い点は、JR浜松町駅に隣接していること。したがって、江戸の大名庭園のたたずまいを知りたいと思った人が、立ち寄るには便利。クルマ椅子で1周できる工夫もよいこと。良くない点は、高

建長寺

 建長寺(けんちょうじ)は建長5年1253年に北条時頼が、中国から僧蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を招いて開山。その後、数回の火災を繰り返し江戸時代に復興再建を得た経緯は近くにある円覚寺(えんがくじ)と似ている。しかし残されている江戸時代の建物の威容に、脅かされる。  まず、総門を抜けると、「建長興国禅寺」の巨大な扁額(後深草天皇が書かれたと伝わる。後深草天皇の在位は寛元4年1246年-正元元年1260年。正に建長寺開山時の天皇である。額縁の大きさは縦4m 横2.65m)を掲

小石川植物園

 貞享元年1684年江戸幕府は小石川御殿内に小石川御薬園を置いた。小石川御薬園内にはさらに享保2年1722年小石川養生所が置かれた。その後、明治時代に入り、明治10年1877年旧小石川御薬園は東京大学付属の植物園とされて現在に至っている。  園内西端には旧東京医学校本館がある。この建物はもともとは本郷の赤門近くにあったもので、重要文化財(昭和44年1969年に当地に移設された。明治44年に赤門脇に移設するときに、元の形を縮小している。明治9年1876年に完成した元の建物は、時

横山大観記念館

 横山大観記念館は、画家横山大観(明治元年1868-昭和33年1958年)が晩年過ごした旧居をそのまま記念館としているもの。建物自体は昭和29年1954年のもの。しかしそうではあるが、大正8年1919年に完成し昭和20年1945年3月の東京大空襲で焼失した旧宅を、ほぼ忠実に再建したものとされ、大観がその人生の大半を過ごした大正期の自宅の雰囲気もこれに近いとみてよいのではないか。  記念館を訪れて最初に通されるのは2階の画室である。そこから不忍池弁天堂が望める。横山がその風景を