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趙紫陽(1919-2005)

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#広東省

趙紫陽 拡大中央委員会での自己批判 1962/02

広東省委員会を代表して拡大中央工作会議広東組大会で趙紫陽同志が行った自己批判 1962年2月3日午後(蘆躍剛『趙紫陽傳』INK印刻文学出版2019年pp,415-416)  (広東)省委員会は討論の中で多くの同志が行った指摘にある「省委員会は広東の問題は重大でなかった、あるいはひどい驕りではないからといって、自己満足してならない」という意見に完全に同意する。この話は大変良い意見であり、省委の警鐘(警惕)となるものである。経験が我々に教えるところでは、わずかに好評でまったく警鐘

趙紫陽と逃港事件 1962/04-07

 蘆躍剛『趙紫陽傳』INK印刻文学出版2019年pp.446-455をまとめた。  新中国が成立したあと、新中国で政治的な弾圧の波が高まるたびに香港に逃れる人がいた。1962年4月から7月。大陸の飢餓からのがれようと10数万といわれる人々が、深圳にあつまったとされる。この「難民」にどう対処するか。このとき現場で対応にあたったのが広東省委第三書記の趙紫陽であり、北京から指示を出していたのは周恩来である。周恩来は収口命令(閉鎖命令だろうか?)を出したという。  趙紫陽はこの問題