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「台湾」(正式には中華民国)

この国は大変な親日国です。どうしてそれほど親日の国となったのでしょうか?そして日本はその親日国をあまり大切にしていないように思えるのはなぜでしょうか?

知らない人も多いのですが、台湾は戦前は「日本」でした。日本が50年に渡って統治していたんです。1895年、日清戦争に勝利した日本(大日本帝国)は当時の中国を統治していた「清」国から台湾を割譲されました。そこから1945年に日本が降伏するまでの50年間、台湾は「日本」だったんです。

かつてはオランダが統治したこともある地域で、その後は清朝に統治されていました。瘴癘の地と呼ばれ、マラリアなどの病にかかることもあったため、清朝時代は行政官が本国から行っているだけで、本格的に清朝が統治している場所ではありませんでした。

本国が本格的に統治していないため、しっかりとした行政も行われておらず、灌漑設備もほとんどなく、農地としての発展もあまり見られない地でした。瘴癘の地でもあり、積極的な関与はしていなかったようです。

台湾

台湾は多民族の国家です。上の図にあるように様々な民族が暮らしている国です。台湾人と一口に言っても元々台湾で暮らしている人が多く、時代とともに渡ってきた漢民族がいます。中華民国が台湾に逃げてきた時に渡ってきた漢民族は本省人と呼ばれています。

日清戦争で勝った日本が台湾が欲しいと伝えた時、清国は台湾をあまり重要視していなかったために割譲したようです。日本としては南への進出のために需要な拠点と考えていたのでしょう。

台湾には大変高い山があります。富士山より高い山なんです!玉山という、最高地点が3,952mもあるたか~い山です。台湾は日本より南にありますが、高い山々には雪が降ることもあるんです。それほど高い山ということですね。

台湾が日本となりましたが、日本と比べて水道や電気、鉄道、灌漑設備などは大きく遅れていました。ここで日本はヨーロッパの国では考えられないようなことをします。日本は国家予算のかなりを使って水道や灌漑設備などの近代化を進めます。

ヨーロッパ諸国はアジアを植民地化していました。安い賃金でこき使ったり、きれいな女性を無理やり奪ったり、反抗するような男性は平気で殺したりしていました。水道や鉄道を整備したりするなんて普通はせず、搾取するために植民地化した訳です。

アジア地図④

上の図は19世紀の、清朝の勢力がだいぶ弱っていたころの勢力図です。東アジアのかなりの部分がヨーロッパ諸国の植民地となっていることがわかります。ヨーロッパ諸国は広大な地域を植民地とし、残酷なことも行っていました。日本は戦争に負けたために自虐史観となり、かつての日本は残酷だったとかと教育されていますが、ヨーロッパ諸国の方が残酷です。あまり日本の学校教育を信じちゃいけませんよ。

アジア地図②

もう一つ違う地図も載せておきます。こちらでもヨーロッパ諸国が東アジア諸国の大部分を植民地化していたことがわかりますね。

東アジアで植民地化されていなかった国は「日本」と「タイ」の2か国だけ。清朝は存在していましたが、ヨーロッパ諸国に奪われ、勢力が及ぶ地域はどんどん小さくなっていました。

日本は明治以降、富国強兵政策を取ったことは歴史で学んだと思います。ヨーロッパは学問や技術が進んでいて、アジアへの勢力拡大にも大変な危機感を抱いていたでしょう。そこで富国強兵政策を取り、急激な近代化を図ったんです。それが功を奏し、日清戦争や無謀だと言われた日露戦争に勝利し、東アジアで唯一の近代国家となったんです。

話を台湾に戻します。

ヨーロッパ諸国が植民地から搾取するばかりだったのとは違い、日本は台湾を「日本」と同様の扱いとし、近代化を図りました。南部にはダムを作り、広大な土地を農地とすることができました。鉄道なども整備し近代化していきました。教育にも力を入れます。日本人としての教育を行い、名前も日本の名前とし、日本語を話すようになります。戦前の日本人の教育を行ってきた台湾の人は日本語を話す高齢者が多く、また誠実さや謙虚さなど、本来日本人が持っていた魂を受け継いでいます。

決して日本が統治していたのがすべていいなどとは言いません。農産物の供給地として農業が盛んになり、工業化が遅れたとも言われます。ただ見方は様々ありますので、いい面と悪い面があったことは事実です。

教育面では、成績が優秀であれば東大や京大へ進むこともできたし、軍人としてもある程度上にいくことができました。戦前まであった日本人精神を受け継ぎ、素晴らしい人が多かったのも事実です。

李登輝元総統は有名な方ですが、この方も日本の大学で学んだ一人です。優秀な人であれば内地で学ぶ機会が与えられていたというのも、日本がヨーロッパ諸国とは違っていた部分でしょう。

戦時中は日本人として軍人は戦争を戦いました。多くの台湾人が命を落としました。本当に残念なことです。1945年、日本が降伏すると台湾では「独立するぞ」とはならず、日本人の教育を受けていたために中華民国の下に入ることに従ったのです。

本来、台湾は中華民国であったことはなく、清朝の時は台湾は清朝の領地でした。しかしそれを受け継いだ中華民国の領土であったことは一度もなく、また、国際的な条約を交わしたこともないために中華民国の下に入ることも決まってはいなかったんです。しかし清朝から中華民国に変わったとしても中国大陸の政権ということで台湾は中華民国の一部となるという、今に引きずる問題が起きています。

漢民族の残虐性はひどく、白色テロと言われ、数万人が虐殺された事件があったり、台湾人は大陸から渡ってきた国民党政権により恐怖政治を敷かれました。1987年に解除されるまで、長い間戒厳令が出され、気に入らなければ殺されるような政治体制が続いていたのです。好きなことが言えない時間がとても長かったんです。

日本による統治は50年に及びました。日本人としての教育を受け、正義感が強く、誠実で、素直などという日本人の魂を受け継いでいた台湾の人々は、残虐で腐敗が酷い国民党政権との違いに大変憤りを感じていました。そのため、大変なこともあったけど日本人であった時代の方がとても良かったという思いを抱いていた方が多かったんです。それが今の親日につながっています。

この記事は僕の主観もだいぶ入っているので間違いもあるかと思います。しかし、あまりに今の日本人は台湾のことを知らなすぎます。少しでも知って欲しくて記事にしました。

日本人は台湾人と中国人を同じように見ているのではないでしょうか?違います。台湾にはいまだに「日本精神」と言われるものがあり、戦前の日本にあった「精神」が受け継がれています。台湾を見ると、本来日本人が持っていた精神を知ることができます。今の日本人が失ってしまったものです。

台湾は中国からの脅威に常に警戒し、戦っています。日本は中国に屈しており、常に頭を下げています。台湾は弱気を助け、強気を挫くというかつての日本の精神で、正式な外交を結んでない国が圧倒的に多いにも関わらず、世界中から注目されています。この記事ではまだまだ台湾のことを伝えられていません。しかし、少しでも興味を持っていただければと思います。

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