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丁寧に生きる ー再考

ほぼ同じタイミングで丁寧に生きるということについて3人の先生が触れられた。

一人目は西田英司先生。西田メソッド/西メソ主催者が常に説かれている言葉である。二人目はマット竹内さん。ビジネスイングリッシュを7年に渡りポッドキャストで配信されておりこの5月で8年目となる。三人目はマドモアゼル・愛さん。YouTubeでほぼ毎日動画を配信されている。

今回、その二人目のマット竹内さんがポッドキャストで触れたお話について自分なりに考えてみた。

マット竹内さんの触れた丁寧に生きる、のエピソードは「夜と霧」でも有名なアウシュビッツの挿話から。収容所に囚われたユダヤ人の人々の間で噂が飛び交う。1週間後に解放される。囚われの身となった収監者はその噂に希望を託し待つ。しかし、1週間経っても何も変わらない。なかには絶望し自ら命を絶つ人も出てくる。一方、その様な極限状態でも生き抜いた人々もいた。その様な人はどの様な人だったのか。その人達が日々を丁寧に生きたのである。与えられた粗末な服を綺麗に皺を伸ばす。布団を丁寧にたたむ。歯ブラシを取り上げられたら歯ブラシの代わりに指先で歯をこする。与えられた環境の中で毎日を誠実に生きる。必死に生きる。丁寧に生きる。そうしてきた人達が過酷な環境を生き延びたというのである。

希望を持てない収容所の中でいかに生きるか。最後まで希望を捨てずに収容所の中で生き抜いた人達はどう他の人達と違っていたのだろうか。それはやはり今を生きていたということになるのだろう。1週間経てば自由の身になる。その希望のみで生きているのは未来を生きていることになる。1週間後の自由を待つこと、そのことのみに生きている。今現在を生きておらずただ時間が過ぎるのを待っているに過ぎない。

同じ様に自由を夢見て希望を持っていても丁寧に生きる人は自由を待つ「今」を生きているのだと思う。今は囚われの身である。しかしいつか自由の身になる。そのいつかが訪れる日を待つ今何が出来るのだろう。今何をすれば良いのだろう。その今に集中し過去でもなく未来でもなく今を生きる。その姿勢が丁寧に生きることにつながる。いや逆に丁寧に生きることが今を生きるということになる。

どちらも正しいのである。

このエピソードは絶望に出会うときのノウハウではない。今の自分に問いかける生きる姿勢であると思う。どんなときにもどんな場所でも通じる。おそらくどんな人にも通じる。


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