赤ちゃん取り違えと母親

自分は昭和40年和歌山生まれ。昭和40年前後といえば大病院で赤ちゃん取り違え事件が散見されたらしい。らしいというのはもちろん幼くてその頃の記憶があるわけではないからだ。物心ついてからそんなことがあったと聞かされた。広く日本全国で起きた社会問題であったそうだ。病院に行けば姓名を患者が言わされ一つ一つ確認する今の常識からすれば信じられない事件だが当時はおおらか(というよりいい加減?)だったのだろう。取り違えはその場では誰も気づかず何年か経って成長した子供の血液型から両親の血液型を考えれば有り得ないどういうことだとなって、生まれた病院まで遡ることになる。そんな悲劇を題材にしたお昼のドラマがかつてあった。確かドラマのタイトルは「我が子は他人」だったと思う。その昼のドラマを母と2人で見ていた。平日の昼間に見ていたので夏休みだったのだと思う。「あんたも病院で取り違えたのかもねぇ。」と母曰く。ドキリとした。母と言い争いになった直後で意趣返しであることは分かっていた。しかしリアルである。こういった時の常套句である「橋の下で拾った」は橋の下にそうそう赤ちゃんが捨てられているとは思えずなんとなくフィクションを感じさせる。明らかに冗談とわかることだ。これとは違い病院での取り違えは十分有り得るのだ。息子である僕がそう言われてどの様に捉えるか感じるかを母が意識していたかどうかは分からない。しかし、父親なら決してこういうことは言わなかっただろう。両親の性格の違いというのではない。母親は自分のお腹を痛めて生んでいる。その記憶が頭の中だけでなくおそらく身体の痛みとしても残っているので自分の子供であることをある意味信じて疑わないのだ。なのであり得る冗談でもなんの躊躇もなく言える。ところが、父親は自分が生んだ訳ではなく産ませただけなので心もとない。病院で取り違えなどとなればそれこそ青天の霹靂。天地がひっくり返った様な出来事となる。あり得るだけに冗談では済まされないのだ。少なくとも言葉にしてしまえば現実味を帯びてきてしまう。母親から言われた当初はなんとひどいことをと思ったしドキリとした。今思えば同じ親といっても母親と父親の違いというものを当時はそれほど理解していなかった。今になって思えばその言葉をどう捉えるかは母と子供の関係がどの様なものかが影響し関わってくるのだろうなと思う。生みの親と育ての親が父母共に同じであることに感謝しつつ。

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